『銀河系大戦史』『猫屋版・銀英伝』に関する談話室
メールでもやりとりしましたけれど……
原作では、門閥貴族が非常に有力な武力を有して、その領地に対
して半独立の自治権限を有していたかどうか……については、はっ
きりしないわけです。ルドルフは比類ない威圧感をもって人類に
君臨した専制独裁者であり、彼が取り立てた『優秀な人材』たち
と言えども皇帝に比肩できるような私兵を最初から所有できたは
ずはないのです。でも、リップシュタット戦役前後の描写を見る
限り、門閥貴族達は明らかに私兵集団を持っています。つまり、
ルドルフからフリードリヒ4世に至る500年間に、皇帝と門閥
貴族の力関係の逆転が生じたのではないかと思われるわけです。
ラインハルトがエルウィン・ヨーゼフ2世を擁しただけでは、銀
河帝国の完全な支配者とはなりおおせず、大貴族達にリップシュ
タット戦役を起こさせなければならなかったと言う事実がありま
す。フリードリヒ4世の時代、すでにG王朝そのものは銀河帝国
での求心力を失っており、単に皇帝家を打倒しただけでは新政権
の樹立にはつながらなかったのではないかということです。これ
は、単にニコライ2世の一家だけを打倒すれば政権が移動したロ
シア革命と、大政奉還だけでは完全な政権移動が起こらず、戊申
の役(やっと思い出した)から西南の役までの内戦を戦わなければ
ならなかった明治維新の違いに喩えられるのではないかと思うわ
けです。
ただ、原作には、門閥貴族と銀河帝国の政治経済、特に経済分野
での役割が述べられていません。単に膨大な私有財産を所有して
いた、とあるだけです。疑問は、B公やリッテンハイム侯のよう
な夜郎自大な考え方は、通常のビジネスでは敗者に立つべき資質
であるという点です。彼らがフェザーンの強かな連中とビジネス
で戦って勝てたとは思えないのです。義忠氏の推測のように、彼
らの内実は実はフェザーン商人によって食いつぶされ、完全な空
洞と化していたのではないかとも疑われます。もし、フェザーン
商人達と互角以上に渡り合えるくらいにしたたかなら、門閥貴族
が僅か1巻の半分くらいでラインハルトに掃滅されてしまうなど
と言うことはなかったかも知れません。
まあ、このあたりは色々と自分勝手な議論を立てられる領域と言
うことで、軽々に結論を出すこともないでしょうけれど。
その昔、パタ●ロにはまっていた時期がありました(爆)
…でも、今は、タマネギ部隊の資料がないわ!!
ど〜〜しましょう!!!(大笑)
どうも、猫屋さん。
>スリルとサスペンスの日々
いや、もう、平穏な生活に憧れる冒険小説のヒーロー達
の気持ちがいやってほど判りました。
だからもう、これ以上、サスペンスな日々はいいんです
けどね(^-^;;どうなることやら
>『銀英伝』全2巻説
最初から全十巻で――ということであれば、確かにもっと
違った構成になっていたでしょうね。
まぁ、キルヒアイスが活きてたとしたら、同盟側の提督陣
にも、もっとてこ入れが必要でしょうけど。
(ただでさえ、同盟側と帝国側の将官の質には、WWIIの米軍
と独軍くらいの差がありそうなのに(^-^A)
>ローエングラム朝の戦争経済
銀河帝国における貴族制の役割とか、産業構造や富裕商人層
の位置付けとかが本編を読む限りあまり見えてこないので、
ゴールデンバウム朝に対してローエングラム朝が歴史的にどん
な役割を果たしたのかが、いまひとつ良く判らないんですね。
「前政権の腐敗をただして、公正な政治を行いました」では、
大学の歴史学のレポートでは間違いなく不可です(^-^A
ローエングラム朝の統一銀河に対する政治経済面での明確な
統治ヴィジョンと、それを支えた社会的ニーズ――その辺りの
マクロ的な言及が本編では薄いため、『銀英伝』には「正史」
というよりむしろロマン主義的色彩の濃い「演義」のように
も感じられる時もあります。
佐藤大輔氏の『皇国の守護者』のように、税制改革から語り
起こしてくれると、本当はありがたかったのですけど(^-^;
否定的なことばかり書いてますけど、別に作品としての
『銀英伝』の価値を否定するわけではありませんので、念のため。
上記のような辺りを突っ込んで考察した同人誌とかって、ど
こかにないかしらん(^-^)
>>タマネギ話は南さんが絵にして下さるそうですので、期待しましょう。
楽しみにしてます――って、まさか本当にへちゃむくれの
ライハルトが出てくるなんてことは(爆)
> ようやく書き込みにこれる余裕ができましたので、
まったく日々の生活がスリルとサスペンスでしたね(まだ過去形で言うには
早過ぎる?)
> >キルヒアイスの死
> 『銀英伝』が当初2巻までで終わる可能性があったことを
> 考えると、田中氏が「もがれた片翼」というモチーフを作
> 中でどうしてもやっておきたかったという、作家的欲求に
> 従った結果ではないかと、僕は見ています。
確かに銀英伝第1巻の初版には1の数字がなかったそうですからね。わたし
もなが〜いこと、銀英伝は1巻で終わったものと思いこんでいました。だか
ら2巻と3巻を見つけたときは本当に驚いたものです。1巻だけでも内容的
には完結したようにも読めましたから。
「もがれた片翼」というモチーフは理解できます。ラインハルトとキルヒア
イスが生きて最終巻のエンディングを迎えられるとは(今にして振り返れば)
思えません。それにしても、早過ぎたのではないかぁと思うのです。5巻、
あるいは6巻、ラインハルトが登極する寸前、あるいはその直後の方が相応
しい場面だったのではないかと。もっとも、5巻の末尾まで彼が生きていた
とすれば……ヤン提督がどうやってバーミリオンのあの局面まで持って行け
たか、残念ながら猫屋では整合したストーリーを考え出せないでいます。
> それより、僕はラインハルト政権下の帝国側の戦争経済
> の構造のほうに引っかかっかりを覚えてます。
そういう裏解釈も面白いですね。明治維新で政権を奪取した薩長が、江戸城
の金蔵が完全に空っぽだったのを知って愕然としたという話しもありますし
(で、赤城山の埋蔵金に話が繋る)。
> * それはそうと「タマネギ騒動」と聞いて、タマネギ頭の
> *将星を背後に従えたへちゃむくれのラインハルトを一瞬、
> *頭に思い浮かべてしまいまったんですが(臨界爆)
タマネギ話は南さんが絵にして下さるそうですので、期待しましょう。ちな
みにロイエンタール対オーベルシュタインですが、バックで誰かが「だ〜れ
が殺した……」とか踊ってたりして(爆笑!)。
ようやく書き込みにこれる余裕ができましたので、ネタ
>キルヒアイスの死
『銀英伝』が当初2巻までで終わる可能性があったことを
考えると、田中氏が「もがれた片翼」というモチーフを作
中でどうしてもやっておきたかったという、作家的欲求に
従った結果ではないかと、僕は見ています。
仰るとおり「No.2不要論」が作品世界内で政治的実感を
伴ってくるのは、同盟領征服が完了し、銀河統一を果たし
た後のことでしょう。
猟犬を「煮る」必要が出てくるのは、あくまですべての
「狩り」を終えてから――本来なら、そのぐらいのことを、
あのオーベルシュタインが理解できないはずはありません
から。
まぁ、それだけこのモチーフを書きたかったんでしょう
ねぇ、田中氏は(^-^A
それより、僕はラインハルト政権下の帝国側の戦争経済
の構造のほうに引っかかっかりを覚えてます。
「没収した貴族達の財産」を財源にしたくらいで、あれほ
どの大軍拡ができたはずがない(^-^;
そもそも、貴族達にそんな膨大な隠し財産があれば、内
戦にあんなに簡単に負けるわけがないです。
おおかた大貴族達の金庫を開けたら、出てくるのはフェ
ザーン商人からの膨大な債権の山で、それを踏み倒すため
にフェザーンに侵攻したら、そのまま後に引けなくなって
ついでに同盟領まで雪崩込んでしまった――
という「ラインハルト暗君論」なるものを、後世のひね
くれた歴史学者が一人くらい主張してそうな気もします(爆)
* それはそうと「タマネギ騒動」と聞いて、タマネギ頭の
*将星を背後に従えたへちゃむくれのラインハルトを一瞬、
*頭に思い浮かべてしまいまったんですが(臨界爆)
最近だ〜れもこないので、閑古鳥が鳴いています……ってことで。
早くて冬コミですね〜。
後期大戦3の原稿、現在50ページを超えたところ。どうあがいても冬には
間に合いませんねぇ…来年のSCCで緋の黎明再販+後期大戦3かなぁ、と
思ってます。
50ページったって、原稿用紙換算で200枚超えてんですけどねぇ…sigh。
でも、さすがにないようが発散してて、第0版を印刷してから、一回は
練らないと話として通じません。時間がない、ぜぇ〜んぜん足らない!
新刊全部読めました…
ところで、緋の黎明、再版かけるんでしたら、表紙はカンビの
表紙半額フェアとかに入れましょう!(とか、言ってみたりして…笑)
こちらこそ長居をしてしまって(^-^A
ただ、会場での猫屋さんとのお話でも触れたんですが、政治家と
軍人の評価は「有能か、無能か」という基準しかないわけで、それ
とは別に「善人か否か」とか「愛国者か否か」という基準を持ち出
されても、困るを通り越して有害なだけなんですよね。
対米開戦の責任問題はとりあえず棚上げするにしても、まともな
戦争計画を立てたわけでも、参謀本部を実戦に即した体制へ改革し
たわけでもなく、主婦の買い物かごを覗いて空虚な精神論をぶち上
げるしか能のなかった戦時内閣の首班は、いかなる「再評価」の前
にも「無能」としか評価の下しようがないし、国家存亡の時におけ
る指導者の「無能」は「災厄」でしかないと僕は思っています。
しかし、ここで重要なのは、この「再評価」を行った人々が本当
に求めているものは何だったのか、ということでしょうね。
東〇首相に対して「国家(ないしは民族)への至誠の忠誠心」と
いう観点での「再評価」を求める人々は、要するに「自分達も同じ
ような価値感を持っているのだから、それも社会的に正当に評価し
て欲しい」という苛立ちがあるんじゃないかという気がします。
近代社会というのは「機能性」という観点から人間を評価すると
いう方向に突き進んでますから、それに対する反動(リバウンド)
として「人間性」や「志」という評価軸を持ち出してきたという面
は否定できないと思います。
それは感情論としてわからなくもないんですが……そういうのは
家庭内でやってくれ(^-^A
結局あれか、人間はそうそう簡単に前近代の闇から抜けられない
ってことなんですかね(-_-;
>あと、井上成美提督の毒舌。
一瞬、どこかの「真空総理」のことかと(爆)
PRI○D○は見てないんです。あの手の映画で、事前の想像と実体が完全に違っていたのって「二〇三高地」だけしか記憶にない。
…と脱線したが、政治権力を揮う政治家の評価は、以下にその人物がチャーチルの言葉に沿って与えられた権力を揮ったかでないか
と思う。「おしのび」で町に出て、道行く主婦の買い物籠をのぞき込むのは、断じて一国の首相のやることではないと思う。T条
首相はしばしばこの手の「おしのび」をやったようだが、「他にやることがなかったんかい!」。まあ、もっとも1945年頃には
「孝子烈婦、表彰の件、閣議決定。近頃、やることなきがごとし」などという状態だったらしいが。
あと、井上成美提督の毒舌。「昔は識見で大将になった。最近は人柄で大将になる輩がいる」。