2019/08

  • 2019/08/31(土)   8/31です。一部の学校ではすでに8/26から新学期らしいけど、猫が小学生だったころ(まだ恐竜が外を歩いていた頃(というのは『動物のお医者さん』由来の冗句。繰り返し使用中))は、8/31が夏休み『最期の日』。今年みたいに9/1が日曜日だと『ラッキー!』。休み明けは次の連休になる敬老の日が待ち遠しい、とそんな感じでした。振替休日っていつごろからできたんだろうか。

  • 長雨ひたすら雨の7月が、滅茶苦茶暑い死ぬほど暑い8月になって、その8月後半、またいきなり長雨ひたすら雨。

  • 2019/08/18(日)   NHKスペシャル『二・二六事件』を録画しておいたのを見る(画面の周囲が台風10号に対する警戒情報で、けっこう見づらい)。1936/2/19の時点で海軍が事件の計画・首謀者を把握していた旨、新発見として語られる。しかし、『二・二六事件、中公新書、高橋正衛、初版1965年、参照した版は1979年の第28版、1994年に増補改訂版発行あり』には、「二月一九日の朝「栗原中尉の一派が、一八日の夜赤坂の某鳥料理屋にひそかに会合して二五日頃を期して銃身襲撃を決行する」旨、東京憲兵隊に報告があったことが記載されており、別段の新発見でもない。この本にもあるように、「二五日頃」とは想定したものの、「しかし二六日に決行せらるということは、まったく事前に察知することはできなかった」とある。番組では『事件の一週間も前に、襲撃先、犯人も把握していたのに海軍は……組織防衛のために秘匿を図った』との内容が語られていたが、その犯人についても同書は「歩兵第一連隊では山口(一太郎)、歩兵第三連隊では安藤(輝三)が週番司令(各連隊での夜間先任指揮官)になったときが一番危ない」ことは、東京憲兵隊の情報網にひっかかっていたと述べている。実際、1936/2/25の各連隊の週番司令は彼らだった。

  • 要するには、海軍はこうした陸軍憲兵隊の情報は把握していた。しかし、「しかし二六日に決行せらるということは、まったく事前に察知することはできなかった」ということだったのではないか。これを指して、『組織防衛のための……』と批判的に報じるのは違うのではないかと思う。後付けで事件が1936/2/26に起きたことを吾々は知っている。だから『一週間も前に……』と批判することになるのだが、その場の当事者にとってリアルタイムで入ってくる情報は「曖昧、間に合わない、矛盾している」で、中々どれが真実か分からないのが普通だから。

    反乱軍幹部と面会し。その行動に承認をあたえるがごとき川島陸将の応答は確かに新事実かも知れない。これが事実なら、後に出てくる『陸軍大臣告示』と一直線につながってくる。さらに川島陸将が天皇(昭和)に拝謁した際に「川島は恐懼して退出した」という「恐懼」の理由も了解できるのではないかと思われる。陸軍首脳(いわゆる統制派、青年将校達が打倒を目指していた人々)はこの事件を奇貨として、そのまま軍事独裁政権を樹立し、おもうがままに政治を取り仕切ろうという意図を隠し持っており、その傀儡として青年将校達を暗に陽に煽動していたとの見方に大きな裏付けが与えられることになる。

    結果的には天皇(昭和)の強い意志のもとに叛乱は鎮圧され、クーデターから一気に軍事(陸軍)独裁政権というルートは挫折したものの、結果的にはこの事件が陸軍首脳の思い描いていた日本を実現させる巨大な圧力として働いたのは歴史上の事実ではある。終戦工作に関わった非陸軍派の人々が、口を揃えて「何としてもクーデターが怖かった」と語っている通りである。また、番組中、天皇(昭和)が強い指導力を発揮したことで、そのカリスマ化が進み、陸軍首脳の意図に載せられてしまう結果となったという皮肉な成り行きが語られている。天皇(昭和)は、おそらくは後になってその事実に気づき、内心に忸怩たる思いを持っておられたのではなかったか。

    あと、海軍の青年将校支持者として小笠原長生退役中将の名が出ていたが、最初「初耳」と思ったものの、『二・二六事件、中公新書、高橋正衛』によれば、すでに「西田税からの働きかけによって、小笠原長生中将から伏見宮(博恭王)、加藤寛治大将、海軍方面への働きかけ」という収集策が青年将校達によって検討されていた旨、明記されており、特段の新情報でもないことが分かった。

    1985年の日航機(123便)墜落事故に関して、なにやら写メがどうした、ガラケーのカメラがこうした、といった呟きが流れていくのだが、どうやら、事故の背景に陰謀があり、その証拠写真がガラケーのカメラで撮影されていた、などと囁いている人たちがいるらしい。1985年ではまだ液晶画面装置ですら出現していなかった(すくなくとも携帯可能な電子機器用の)。CCDベースのカメラが出現するのは、ソニーの……マヴィカ(1997年)だったっけ? それまで待たなければならない。

    そう言えば、『黒執事』の一巻だったか二巻だったか、登場人物が携帯電話を使っていて、物語がヴィクトリア朝時代のイギリスだとはまったく思わなかった(異世界の物語だと思っていた)のを思い出した。いずれ、戦後だとか大戦中とか、あるいは明治時代に登場人物が携帯電話で話している……といった火葬戦記だのファンタジーだの歴史小説だのが大量に流通する時代が来るのだろう。興味深い。

  • 2019/08/12(月)   昨日のNHKスペシャルの録画を見る。なるほどね、というところ。一木大佐がそんな風に批判されていたとは、これは気の毒。個人ではなく組織、組織風土の問題なのに。結構、海軍が悪玉扱いだったが、事実はそんなところだろう。海軍善玉説は、戦後、旧海軍と外務省(散々、陸軍に煮え湯を飲まされた……この辺の経緯は、『東京裁判、講談社現代新書、日暮吉延、2008年、ISBN978-4+06-287924-8』辺りでも言及されているが……が、組織的に作り上げた伝説でしかない。陸軍は強盗、海軍は巾着切り(掏摸)、と言われる所以でもある。

  • アンスバッハがキルヒアイスに向かって、国政を家事に喩える話を延々とする。そういう夢を見た。変な夢。『一生懸命に作った食事を、ろくに味わいもせずに不味い、あるいは口に合わぬなどと文句を言い、せっかく掃除を終えた家の中をゴミだらけに変え、磨き上げておいたはずの台所には汚れた食器を積み上げて片付けもしない。それが国民というものだ。それを黙々と処理し、片付け、掃除し、これを一生涯繰り返し続ける。それが為政者の責任というものなのだ。卿は、疲れを覚えずしてそれに絶える自信があるのか』。キルヒアイス曰く『奥さんに愚痴られたのですね、アンスバッハ卿』。アンスバッハ応じて『やはり……分かるか、さすがだな、ジークフリード・キルヒアイス……』。

  • 2019/08/11(日)   会場への入場路案内の看板が見えづらかった。サークル入場の場合は、西館のタクシー出入り口を横切ってすぐに左に折れるのだが、その案内の看板が道路側(ゆりかもめの走っている)を向いて立てられており、タクシー出入り口を横切った時点で視界に入らない。一般入場の案内看板が進路に対して正面に立っているので、うっかりするとそのまま一般入場の方向へ進んでしまう。一般入場の案内看板と並んで設置しておいた方が良かったはず。
  • リストバンドの粘着テープの剥離紙が、リストバンド装着場所の机やフロアに散乱していた。剥離紙を剥がした後、『ん? 剥離紙はどこへ捨てれば?』と見回した際に、机の端にぶら下がっているゴミ袋が、咄嗟に視野に入らない。机の足許に段ボールでも置いて、テーブルの上には『剥離紙は、足許のゴミ箱へ』とでも大書しておかないと、先を急ぐ意識と、『ゴミ箱は置いていないらしい』との誤認で、剥離紙をその場に放置することになりそう。実際、今日の公式ツィートで『剥離紙を捨てるな』旨のアナウンスが出ていたが、これは『情報を周知徹底する』という『最も実効性のない対策』と呼ぶ。業務上の規則を周知しても、周知されたことを実行しなくとも業務が運用できるなら、周知事項は守られないというやつ。

    帰路、『出口』の案内の先には階段、その脇に地上を通るルートに『防災公園コスプレスペース』という案内。台車とカートを引きずる身には、階段を上って『出口』には向かえず。また、コスプレを見るつもりはないから『防災公園コスプレスペース』へ向かうわけにはいかない……案内は出ていないが、『来た道を逆に辿り』、結局、東京ビッグサイト前交差点で『防災公園コスプレスペース』へ向かった人々と合流。つまり、『防災公園コスプレスペース』へ向かえばショートカットで東京ビッグサイト前交差点まで出られたはずと言うことになる。

    次回申し込みの時のアンケート用に心覚えとして。

    明らかにコーカソイド系の二人連れ(カップルかな?)に『どうぞ、ご覧になっていって下さい』と声をかけた。こっちは漢字満載の文字びっしり本なので、これは冗談半分だったのだが、彼らは有角犬シリーズ二冊と、回廊の戦いを手にとって、まず『有角犬の夢』と『回廊の戦い』はにやっとしてうなずき合う。さらに『山荘の有角犬』は、眉間に皺を寄せて表紙を睨むと、なにやら二人で短く議論した後に頷いて本を元の位置に。一瞬、何が起きているのかと思ったが、どうやら副題のようにしてつけているドイツ語のタイトルを見て、最初の二冊は意味を理解したのか、あるいは『何だ、全然間違ったドイツ語書いてあるぞ』と了解したか。最後の一冊は、『山荘』にあてた『Bergretreat』が通じなかったか、読めなかったかしたらしい。翻訳サイトで翻訳したスペリングだけに冷や汗。

  • 2019/08/10(土)   さて行って参りました、C96。本日最高気温は34℃だったようですが、炎天下、日影もない中を西館から東館脇を延々と東駐車場まで歩きますと、目が眩むような暑さでした。その前に、館内でも13〜14時頃になると気温が急激に上昇し、中々に耐えがたい暑熱となりました。

  • それはともかく、多くの方に本日の新刊『山荘の有角犬』を手にとって頂けました。また、既刊にも多くの方に興味を示して頂きました。大変にありがとうございました。ともかくも有角犬シリーズ(ってシリーズ化したんでしょうか?)は二冊目をだすことができ、まだ、もう少し続きそうな気配です。これからもよろしくお願いします。

  • 2019/08/02(金)   で、2019年8月2日であります。死ぬほど暑いです。『日本ロマンティック街道』の悪口を書いたけれど、まだ、沼田から日光に抜ける部分があって、途中の丸沼とか菅沼のあたりが、篠田真由美氏の建築探偵シリーズの『翡翠の城』の舞台でもある。ただ、それだけのために、ああいう山道をさらに100キロ走りたいとは中々思えない。このところ、山道ばっかり走っているし……
  • ということで、『翡翠の城』を再読中。「グラースブリュンネン、グーター・プラーツ、アイネマール・コンメン・ジー、イン・ハイサー・クヴェレ、ブリューヘン・ブルーメン」。