もう一つの『リップシュタット戦役』と『神々の黄昏』 リップシュタット戦役の戦勝により、ラインハルトは銀河帝国のドラスティックな改革に着手する。没落した門閥貴族の莫大な財産が国庫を潤し、帝国の財政危機を救ったばかりか、ローエングラム王朝による宇宙統一の原動力ともなったのだが、その過程は実のところ一筋縄ではなかった。門閥貴族たちの財産は、無数の信託会社や投資会社を経由して帝国内のあらゆる分野へ投資されていた。その経路は複雑怪奇で、これらの投資機関は、ローエングラム政権による貴族財産の収公に暗に陽に猛烈な抵抗を示したのである。あたかも、『投資家が没落した場合、投資資金はすべて我々のものであり、返却の要を認めない』と言わんばかりの態度だったのである。 改革にあくまで抵抗を示す組織の存在に業を煮やしたラインハルトは、オイゲン・リヒター、オスマイヤー、カール・ブラッケの三人と、オーベルシュタイン上級大将(当時)の四人に命じて大規模なプロジェクトを発足させる。彼ら四名に主導された『賊軍財産整理委員会』は、やがて門閥貴族と密接な関係を持ち、銀河帝国を裏面から支配していた強大な組織の存在を突き止める。金融<ファイナンシャル>資本連合体<・コンドォーミニアム>と呼ばれるに至るこの組織は、多階層の数十にも上るグループを構成する多数の金融機関が、ゆるやかな連携を保ちつつも、その既得権益を侵害する組織に対しては強烈な抵抗と反発を示す一枚岩となるものだった。当初、ラインハルトは可能な限りの穏和な手段で門閥貴族財産の整理・吸収を試みた。しかし、硬軟あらゆる手段を尽くしての抵抗に受け、さらに姉のアンネローゼの生命への危害までを示唆されるに至って遂に過激なほどの武断的な手段での解体を強行する。皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世誘拐事件直後のことである。 数千もの逮捕者、刑死、流刑を含む重刑者数百人を数えたこの解体作業により、未収だった巨額の門閥貴族財産のすべてがようやく国庫に収められた。ローエングラム体制は、政治的な体制と同時に経済的にも、宇宙統一のための基礎を固め終えたのである。正史ではほとんど語られることのないこの事件が、『経済におけるリップシュタット戦役』として特に経済史家に重視されるのは当然のことだった。 『神々の黄昏』作戦の過程で、ラインハルトたちはさらに驚くべき事実を探り当てることになる。フェザーンの大資本、および旧自由惑星同盟の軍産<ミリタリ・インダストリアル>複合体<・コンプレックス>が、旧帝国の金融資本連合組織と密接に連携していたという事実である。 「帝国と自由惑星同盟の三〇〇年にわたる確執の過程で、これらの金融資本同士のネットワークは自然発生的にできあがったものと思われる。仲介の労をとったのはフェザーンの資本であろうが、その後のこのネットワークの発達を主導した主体的組織というものは見あたらない」 ラインハルト登極の直前、オスマイヤーはオーベルシュタインと連名で報告している。 「このネットワークには全体を調整する中核組織はなく、個々の組織体は、その一事業部門が相互に連携を行っているに過ぎない。あくまで結果的に、このネットワークは帝国、フェザーン、自由惑星同盟にわたる人類社会を裏面から網羅した、もう一つの銀河帝国として機能していた。その目的はただ一つ、戦争を継続させることで国家のリソースを絶え間なく吸い上げ続けることであった。この単一の目的ただそれだけのために、数千の企業、数百万の人間が無意識の裡に協力し続けていたのは、驚異の一語に尽きる」 ラインハルトは、この経済ネットワークをただちには掃滅しなかった。すでに主要な組織として、人類社会の中に溶け込んでいるこのネットワークを強引に解体し、新たな経済組織を作り上げることは不可能だったのだ。そして、しばしの執行猶予を与えられることになった、フェザーンと旧自由惑星同盟の経済資本ネットワークの構成者の多くは、ローエングラム王朝の新体制にすりより、協力を誓うことで自らの勢力と影響力の温存を図ったのである。 ―――が、それも長くは続かなかった。 フェザーンを根城としていた経済ネットワークにとっての致命傷は、地球教との関係だった。地球教徒は、本質的には彼らの同志とは言えなかったフェザーンの大資本にも、ローエングラム王朝の公然の敵という、彼らが望まなかった地位を与えてしまったのだ。 さらに、旧自由惑星同盟でも、『改革と言うより武力による粉砕』が進められる。帝国暦三年の『オーベルシュタインの草刈り』は、一つには旧自由惑星同盟の完全な政治的・軍事的鎮圧を目指したものではあったが、その一方で、政治・軍事とは関係を持たない多くの経済人が捕縛者リストに載せられていたのも事実である。そして、彼らの多くが『ラグプール刑務所暴動事件』で不慮の死を遂げていることも。 オーベルシュタインの大鎌は、返す刀で自由惑星同盟の軍産<ミリタリ・インダストリアル>複合体<・コンプレックス>の残滓を掃滅したとの味方をする史家が少なくないのは当然のことだった。無論、公的な資料は完全な沈黙を守り続け、オーベルシュタイン軍務尚書も、オスマイヤー内務尚書も、生涯にわたってこれらの事件に関して語ることはなかった。 『経済におけるリップシュタット戦役』同様、『もう一つの神々の黄昏』と呼ばれるフェザーンと新帝国領での経済面での確執は、新帝国暦五年頃に終結したと言われる。奇しくも、これ以降、ラインハルトやキルヒアイス、あるいはヒルダ、アンネローゼを狙ったテロ事件(実行、未遂を含めて)は後を絶つこととなった。 ☆☆☆ 宇西暦二七〇〇年代、地球< テラ >・シリウス戦役時代の私掠船戦術の落とし子として生まれた宇宙海賊なる存在は、その後、消長を経ながらも人類社会にしぶとく生き残り続けた。宇宙海賊の猖獗度合いは、社会の安定状況と反比例関係にあり、まさに社会の安定度の皮肉極まるバロメータの役割を果たし続けているのだ。 ローエングラム王朝成立期に、宇宙海賊の勢力が大きく伸張したのは皮肉極まる事実である。初代皇帝ラインハルトは戦争の天才であり、その幕下<ばっか>の提督たちは、辛うじて同盟軍のアッシュビー元帥麾下のいわゆる『七三〇年マフィア』のみが比較に値すると言われるほどのに用兵の才の粋を極めた存在だった。 にもかかわらず、新帝国暦三年頃から一〇年頃にかけて、特に旧帝国領の辺境宙域は宇宙海賊の巣窟と化した観があった。 この時期に宇宙海賊が勢力を得た大きな理由が、またしても皮肉なことに『リップシュタット戦役』にほかならなかった。この戦役で、提督クラスの貴族、軍人のほとんどは捕らえられて処刑、もしくは身分を剥奪された。大型の戦艦、巡航艦、航宙母艦といった艦種も没収され、ラインハルトの陣営に加えられた。旧門閥貴族の私兵集団は壊滅したが、二六〇〇万人と言われた貴族連合軍の参集兵力すべてが消滅したわけではなかったのである。 中型以下の巡航艦、駆逐艦、突撃艦や宙雷艇といった艦種。佐官クラス、ごくまれには准将クラスの士官と、彼らに従っていた兵士。戦役後の調査によれば、兵数で約一二〇万人、艦艇数で三万七〇〇〇隻が、いつの間にか宇宙の深淵の中に隠れ込んでしまったと言われている。その多くが、ローエングラム王朝の支配を拒否し、まだその支配が確立していない辺境宙域へ逃げ込んだ。多くの辺境宙域の惑星が彼らの支配下に陥り、海賊となった彼らに根拠地を提供する結果となったのである。 ローエングラム王朝は、辺境宙域を八つの辺境軍管区にわけ、それぞれを、リップシュタット以前にラインハルトを支持した数少ない有力貴族たちに分与した。が、わずか数年にして宇宙海賊による治安の紊乱は、彼ら貴族の手に余るに至ったのである。新帝国暦一〇年に至って、まだ有力貴族が軍事権を委任されているのは僅かに三軍管区、第一、第二および第七辺境軍管区に過ぎなかった。 新帝国暦六年以降、ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥に率いられた帝国軍宇宙艦隊は本格的な宇宙海賊掃滅作戦を展開する。帝国軍直課に移った五つの辺境軍管区は、新帝国暦九年末までにほぼ平定され、辺境は一応の安定を見たかに思われた。 もっとも、皮肉な視点の持ち主には事欠かないらしく、『ローエングラム王朝が、リップシュタット戦役の論功行賞で辺境軍管区を旧貴族に分かち与えたのは、いずれ彼らが軍管区の治安を維持し得なくなって、自ら軍権を放棄してくると予見していたからだ』と評する声も少なくない。もっと露骨に、『その気になれば根こそぎにできたはずの門閥貴族の残党を辺境宙域へ追い込んだのは軍務尚書の策謀だ。ローエングラム王朝初期の辺境での治安悪化は、軍務尚書が意図的に起こさせたものに他ならない』との意見さえ散見されるほどである。無論、これらの声は幾分かは真実の原石を含んでいるに違いなかった。 第一辺境軍管区は、依然として有力貴族であるシュペーア伯爵家の管轄する、ごく少数の例外に属していた。 1