ノイストリエンブルク攻防(承前) 再び星系ブングルド。 『第一辺境軍管区の、ノイエシュタウフェンベルク子爵への指揮権委譲は認められず。ノイエシュタウフェンベルクには同軍管区ブングルド駐留艦隊の指揮権限を別記する期間、臨時に付与するものとする。ただちに所在の兵力を率い、ノイストリエン星系の帝国軍を救援すべき旨、銀河帝国皇太子アレクサンデル・ジークフリード殿下の名において発令せらる』 「さすがだな。軍務尚書あたりの判断か。サボタージュされて、アレク殿下の生命が失われても、禍根を残すような言質は与えぬか」 帝都からの返信に半ばは苦笑いし、半ばは苦虫をかみ殺した表情になったモーリッツである。部下を呼び、艦隊の出撃準備を命令したが、『十分に補給を整え、万全の体制で出撃できるよう、十二分に点検するように』と付け加えるのを忘れない。 その彼のもとに、超光速通信の着信が告げられたのは、二五日の夜のことである。 多忙を理由に受信を断るよう命じるモーリッツだったが、執事から告げられた発信者の名に微かに顔色を変えた。 ためらいの沈黙を数分間先行させてから、モーリッツは通話室へとつま先を向けた。 『久しいな、子爵。壮健そうでなによりだ』 通話には明らかに攪乱<スクランブル>がかけられ、画像も判然としなければ、奇妙にゆがんでしわがれた声は人間のものとは思われなかった。 「久闊を叙するだけの通話を受けるほど、わたしは暇ではない。先日も身の程知らずの道化が一人訪ねて来たが、あれが卿からの使者だとすれば、話は終わりだ。あんな道化しか手駒にないような連中と連んで、ことさらに疑惑を買うようなことはできんからな」 『道化? 使者? 何か勘違いをしておるようだな、子爵』 スクランブルで歪み撓められていても、悪意が口調の端々からしたたり落ちる。 「用があるならさっさと言え……そうだな、皇帝陛下のお言葉を借りるなら、腹のさぐり合いもたまにはいいが、いつもそれではいささか胃にもたれる、とでも言ってやろうか」 『『グードルーン』をブングルドにワープアウトさせた』 「『グードルーン』?」 モーリッツはあわただしく記憶を探り、その名が意味する内容に気づいた。驚愕が全身に伝わり、つま先が冷たく痺れていく錯覚に見舞われて、モーリッツは頬をゆがめる。 「何のつもりだ」 『皇帝と帝国宰相を抹殺するつもりはないのだ。ことを起こすに邪魔だっただけだ。帝国宰相である必要もなかった。軍務尚書でも、ロイエンタール元帥でも、ミッターマイヤー元帥でも、誰でもよかった。一時的に、帝国の最高首脳の機能が麻痺してくれればいいのだ』 「き……さま」 『いずれ、フレーデグンデからも卿に挨拶が行くだろう』 「フレーデグンデだと?」 『いい名前だろうが。なにしろ皇帝の旗艦は『ブリュンヒルト』だからな……ロゼマリーエ・フローレンツ・フォン・ベーネミュンデ、と言っても卿の記憶にはあるまい。ブングルドの住民登録を一〇年ばかり遡らぬ限りは、な……さて、皇帝と帝国宰相を行方不明に陥れた実験艦がブングルドで発見され、脱走したシャフト無期流刑囚が同じくブングルドで逮捕され、さらに、実行首犯のフレーデグンデ・フォン・テーオバルトが実は、ロゼマリーエ・フローレンツ・フォン・ベーネミュンデ……かのベーネミュンデ侯爵夫人の縁者であり、かつてはブングルドの住民だった。いささか陳腐だが、それだけに卿の首にかける縄としては十分に太かろうよ』 モーリッツは、凄まじい形相に顔を引き歪めていた、と言うわけではなかった。さすがに顔面から血の気は完全に失せていたが、表情そのものはふだんとさして変わらない。灰白色の瞳がぎらつくような輝きを強めて、凝ったように画面に吸い付けられているのを除けば。 「―――何が狙いだ」 ややあって、モーリッツは言葉を押し出す。 「取引の内容を言え」 『では、取引に応じるのだな』 「条件次第だ」 『卿に選択の余地はないのだよ。この期に及んで、まだ条件を云々するなら、これで話は終わりだ。では、ごきげんよう』 「……待て!」 『取引に乗るか』 「……」 『卿に一方的に損はさせぬ。卿にも大いに儲けてもらう。これは協業<パートナーシップ>の申し入れだ。無論、協業の条件をこちらに有利にするための小細工をたっぷりさせてもらったが……回答は?』 「わたしが否<ナイン>と言えば、卿らも儲けられはしないのだぞ……そうか、アイゼンヘルツだな。わたしをダミーにして、アイゼンヘルツ・プロジェクトにもう一度入り込もうというのだろう、違うか?」 画面は動かなかったが、確かにその向こう側に座す人物の動揺が伝わってくるのが感じられた。 『アイゼンヘルツ星系第二惑星から二〇京トンの水を八つの乾燥惑星に運んで五〇億人分の食糧を増産する野心的な計画(原作一巻一五四ページ参照)』プロジェクトの中心となっていた惑星開発公社である。神々の黄昏作戦の際に自治領主公邸から押収された資料で、資本の実に九〇パーセントが門閥貴族系の独占資本と提携したフェザーン資本のダミーであることが判明している。このため、ラインハルトはアイゼンヘルツ開発公社そのものの国有化を強行し、フェザーンの黒狐…アドリアン・ルビンスキー…の手足の内の一本を切り落とすことに成功している。 このアイゼンヘルツ・プロジェクトにはモーリッツも、シュペーア伯フェルディナンドも多額の投資をしており、当時のプロジェクトの責任者や関連投資機関の首脳とも面識があった。 『我々の正体への推測は卿になにももたらさぬぞ、子爵。卿の推測は単なる推測、何の証拠もない。翻って、身を破滅させるに足りるだけの証拠に卿は取り囲まれているのだからな。そのことを忘れぬでもらおうか……それに、卿に皇帝への無条件の忠誠があるならば、軍管区の指揮権などにこだわらずに今頃は艦隊を出撃させておるのではないか。今なお、準備不足を口実に艦隊をブングルドに押しとどめているのは、シュペーア伯領と軍管区の指揮権に未練があるからだろう、違うか。無論、卿がそういう人物であるからこそ、罠を仕掛ける意味もあったのだがな』 「―――!」 『時間がない。諾否を答えてもらおうか』 モーリッツは押し黙る。軍管区の指揮権委譲要求と言い、ノイストリエンブルクの危急を知らされてなお艦隊を動かさない態度と言い、少なくともオーベルシュタイン軍務尚書の忌避を買うには十分であろう。 だが…… 不意にモーリッツは笑いだした。 『何が可笑しい―――S』 「了解した。ノイエシュタウフェンベルク子爵はただちに軍管区分艦隊を率いてブングルドを出撃、ノイストリエンブルク要塞救援に向かう」 『な―――いまさら、そんなことをしても無駄だぞ。卿の行動はすでにあのオーベルシュタインの忌避を買い、ロイエンタールからは嫌悪と軽蔑をもって遇されている』 モーリッツは笑い止めない。 「だからといって卿の脅しに乗ったところで同じことだ……というよりも、同じ滅ぶなら、卿のような男の言いなりになった挙げ句よりも、卿の腐れた思惑とやらを滅茶苦茶にしてやってから、皇帝<カイザー>に裁かれた方が、まだ諦めがつくと言うものではないか!」 『……』 「そうやってこせこせと罠を張り巡らして、落とし穴を掘って人を陥れては儲けを独り占めにしていた時代は終わったのだよ」 『待て、子爵、考え直せ! 今更、艦隊を出したところで……』 明らかに狼狽を含んだ声。いきなり画像が鮮明になり、声からも歪みが取れる。 だが、モーリッツはもはや一顧だにしなかった。 「卿の罠とやらをめちゃめちゃにしてやれる。それだけでも艦隊を出撃<だ>す価値はあろうと言うものではないか」 ☆☆☆ ノイストリエンブルク要塞。 叛徒……海賊側の戦術はミュラーをしてさえ思わず嘆声を発せしめたほどに鮮やかだった。 要塞主砲の射程を回避し、巧妙に迂回してノイストリエンの主星、すなわち伯爵領の首都星である惑星に恒星側から回り込んできたのだ。ノイストリエンブルクは主星の外惑星側の公転軌道上に定置されている。要塞と主星を結ぶ延長線上が要塞主砲の死角となるのは当然だった。 無論、死角を補うために内惑星側にも『堡塁』と呼ばれるステーションが合計三基併せて設置されており、それぞれに強力な主砲と、数百隻規模の艦艇を収容できる宇宙港とが装備されていた。 シュペーア中将の主力艦隊が釣り出され、一五〇光年離れた宙点で膠着状態に陥っているために、これらの堡塁の防禦は十分ではなかった。ミュラーとシュパイデルはやむを得ず、要塞から艦隊を出して、これらのステーションへの攻撃を試みる海賊艦隊の動きに対応せざるを得なかったのだ。そして、要塞主砲の死角を突いた動きそのものが、海賊側のフェイントだったのである。 「自分で指揮を執っていれば!」 ミュラーは天を仰いでそう罵ったのだが、たちまちの内に帝国軍艦隊は、要塞と主星のあいだの狭い惑星間宙域での乱戦に巻き込まれた。 六次にわたったイゼルローン要塞攻略戦で、かつての自由惑星同盟軍がほとんど艦隊運動の芸術の域にまで洗練させた、局所空域での乱戦から並行追撃。至近距離における要塞主砲死角への突入。 ミュラーの予想はほぼ正鵠を射抜いていた。二一日早朝から始まった帝国軍と海賊艦隊の乱戦は、その日の午後には完全な並行追撃の艦隊運動に変化していた。 「対空砲火、射撃開始!」 ノイストリエンブルク要塞の表面が一斉に白く輝く棘をまといつけたように見えたかも知れない。 無数の対空火器が一斉に咆哮を上げる。膨大なエネルギーの乱流が空間そのものを沸騰させ、要塞を陽炎のような揺らぎで覆い包んだ。 電磁砲弾に貫かれた海賊戦艦が、不吉なまでに煌めきわたる純白の火球に包み込まれて音もなく爆散する。豪雨のようなパルスレーザーの斉射に曝された巡航艦の防禦シールドが虹色の閃光を放って崩壊し、一瞬後には舷側の装甲鈑が衛星表面を思わせる無数の破孔に覆われる。誘爆が生じ、破孔に沿って外側へめくり上がるように爆発光が巨大な巡航艦を覆い尽くしていく。 海賊艦隊も反撃する。 巨大な宙雷が、磁力砲弾が、中性子ビームが間断なく要塞の装甲を叩き続ける。機関部を貫かれ、制御を失った海賊船が自暴自棄に駆られたかのように最大加速で要塞に突入する。 ノイストリエンブルク要塞を覆う、超合金と結晶繊維の多層式複合ハニカム装甲が金属的な悲鳴を上げ、その身を震わせた。巨大な閃紫色の爆発光が波打つように広がり、要塞表面を破壊力の波濤で炙り上げる。一つの火球が消えると次の火球が生じ、巨大な火球が生じて互いに重なり合いながら、要塞表面の一部を灼熱させていくのだ。 「―――……S」 さすがにアレクがミュラーの顔を見上げ、そのとなりでアレクシスがシュパイデルの名を呼んでいる。 要塞深部に配置された中央司令室でさえ、海賊船が砲火を叩きつけ、あるいは体当たりした要塞戦艦が爆発する衝撃がフロアを揺るがせ、微かに軋ませるのだ。 「ご不安ですか、殿下?」 「…ううん」 ちょっと間があったにしても、アレクの返事は明瞭だった。 「怖くないよ。だって、父上に誓ったんだもの」 「ほう?」 「一生懸命頑張るって。父上はね、アレクが一生懸命頑張ったら、きっと父上の後を嗣げるっておっしゃったんだよ。怖がってたらダメだよね」 「ご立派です、殿下」 その会話が交わされたのは二二日。 要塞主砲の死角に入り込んだ海賊艦隊と、対空砲火群の攻防は二二日から二四日の三日間にわたった。海賊艦隊も、帝国軍艦隊と対空砲火の手厳しい洗礼の前に二〇〇隻を超える艦艇を失ったが、この戦いでは明らかに攻める側が勢いにおいても戦術的な洗練においても、防禦側を上回っていた。 ミュラーのもとに、予想しつつも恐れていた報告がもたらされたのは二五日の朝のことだった。この日になって要塞外の抵抗が限界に達したと判断して艦隊に寄港を命じたミュラーだったが、海賊側の対応はミュラーの予想を超えて迅速を極めた。 狡猾なまでに洗練された並行追撃の戦術を駆使して、海賊艦隊は要塞宇宙港の至近に殺到したのである。強襲揚陸艦一〇隻を含んだ一〇〇隻近くの集団が、真っ正面から宇宙港外扉<ゲート>へ向かって突進してくる。 要塞の対空砲火が吼え猛り、たちまち数十隻を焔の渦の中に叩き込んだ。半ば透き通った白く輝く核融合爆発の火球が波打ちながら視界を漂白する。だが、拡散しきらない火球を傲然と突き切って、強襲揚陸艦の艦列が姿を現した。 「宇宙港正面より、強襲揚陸艦一〇隻、突っ込んで来ます!」 「撃ち落とせ!」 一〇隻の内、四隻が破壊され、二隻は脱落。しかし残り四隻がそのままの勢いで宙港のゲートに突入。轟音とともに厚い装甲を施した衝角がゲートの装甲に食い入ってくる。 「ゲートを開放せよ」 ミュラーは命令を下した。。 「しかし……」 「全パワーをたたき込んで、非常開放しろ。あの揚襲艦どもを引きちぎってやれ。さもないと、我々の艦艇は宙港に封じ込められる」 了解、と叫んだ宙港担当の士官が一〇個余りのスイッチを一斉に入れる。固く閉ざされていた宙港ゲートが唸りを上げて左右に開き始めた。 艦首を半ばゲートにめり込ませていた四隻の揚陸艦はうろたえたように逆噴射をかけ、離脱を試みるが、既に深く食い込んだ衝角は、逆噴射程度では抜けてこなかった。 非常用動力まで投入されて引き込まれていくゲートが、凄まじい振動と轟音を伴いながら、突入してきた揚陸艦を捩曲げ、押し砕く。揚陸艦搭乗員の……おそらくは……恐怖に満ちた視線の中で、四隻の揚陸艦は艦首部五〇メートル余りをゲートに突き刺したままむしり取られた。艦体として残された部分も、龍骨と呼ばれる艦の骨組みはねじくれた鉄くずになり果て、軍艦としての機能のほとんどは破壊されていた。 「よし、ゲート閉鎖!」 四隻の揚陸艦を残骸に変えたゲートが閉じていく。が、まる隙を突いたかのように、中型の強襲揚襲艦数隻が要塞表面の一角に着陸し、局所戦用の爆弾で装甲を破壊した後、対艦突入用のドリルを打ち込んできたとの報告が飛び込んでくる。 要塞の地理に関する侵入者の知識は正確で、彼らの侵入地点が、要塞表面から中央司令室、および要塞動力炉へつながる最短経路であることを知ったミュラーは思わず呪いの声を上げた。 「―――やはり?」 シュパイデルにミュラーはうなずきで答える。連戦四日。さすがの鉄壁ミュラーの表情にも疲労が目立ち始めている。 そのミュラーに、一時的に主席幕僚の役割を果たしているシュトライヒャー大佐が声をかける。 「……元帥、帝都から通信文です。一通は統帥本部長ロイエンタール元帥閣下より、もう一通はヒルデガルト皇妃陛下より。いずれもアレクサンデル殿下とミュラー元帥連名の宛名となっております」 「ロイエンタール元帥と皇妃陛下が?」 「開示は殿下と元帥のみと指定されておりますので」 「分かった」 通信プレートを受け取り、アレクの席へ向かう。怪訝そうなアレクに、プレートの意味を説明し、内容を開示させる。 ロイエンタールからの通信は、ノイエシュタウフェンベルク子爵モーリッツからの、『第一辺境軍管区軍権の全面的委譲』の要請。今一通は、ヒルダからの『万一の場合』でのアレクの判断を仰ぐものだった。 「……アレクシスの大叔父さまに助けに来てもらったら、みんな助かるかも知れないけれど、そうしたらアレクシスがお祖父様の跡継ぎにはなれないんだね?」 アレクの理解は的確だった。 「でも、助けがいらない、っていったら、みんな死んじゃうかも知れない。母上は、どっちにするか、アレクが自分で考えなさいって?」 「無論、皇妃陛下は殿下が生きて帝都へお帰りになるのを望んでおられます。そうに違いありません」 「アレク!」 アレクはアレクシスに呼びかけた。 アレクシスはアレクサンデルよりも一歳年上。祖父譲りの銀色に近い金髪と、濃いブラウンの瞳をした背の高い少年だった。通称はアレクサンデルと同じでアレク。 「なに?」 「アレクは、お祖父様の跡継ぎになりたい?」 「なりたい」 「アレクの大叔父さまがお祖父様の跡継ぎになるのをアレクが認めたら、アレクたちを助けに来てくれるんだ。でも、断ったら……」 「殺されるかも知れない?」 「うん」 「モーリッツ大叔父が?」 「うん」 思わずミュラーが“殿下!”と呼びかけそうになるほど、それは率直な問いかけだった。 アレクシスもアレクの言葉の意味を察したようだった。 数分の沈黙を先行させてから、アレクシスははっきりと首を左右に振った。 「嫌だ。僕はお祖父様の跡継ぎなんだ。大叔父はもうノイエシュタウフェンベルク子爵じゃないか!」 「……殿下、まだ時間はあります。急ぐことはありません」 「ううん、もう決めたもの」 「で……んか」 「これってずるいもの。父上ならきっとダメっておっしゃる。だから、アレクもダメ」 「しかし、それでは……」 「ミュラーげんすい、守ってくれるよね。僕たちのこと……でも、もしダメだったら、父上が嘲笑<わらわ>れるようなことだけはしない、ぜったいに」 笑顔。 ひっきりなしにフロアが揺れ、防禦を指揮する士官たちの怒号と悲鳴が飛び交う中で、まだ一〇歳にもならない二人の少年が笑っている。怖くないはずはないだろうが、それでも彼らの一人は“獅子帝ラインハルト”の栄光と矜持を確かに引き継ごうとし、もう一人は僅かに残ったかつての大貴族の誇りをなお受け継ごうとしているように、ミュラーには見えたのである。 気づいたとき、ミュラーは深々と最敬礼を施していた。 「御意でございます、皇太子殿下」 突入と撃退。 中央司令室につながる第四通路の攻防は、実にさらに丸二日間続いた。 ミュラーとシュパイデルは第四通路にゼッフル粒子を充満させ、海賊の侵入に応じたのである。要塞だけでなく艦隊の将兵にも白兵戦への参加を命じ、彼らを交代で通路に突入させる。狭い通路で兵力を集中できず、さらには艦隊将兵の参加で十分な兵力を確保した帝国軍の必死の防戦に、海賊たちも文字通りに屍山血河を現出させては撃退され続けた。 二六日夕方、実に一六回目の突撃を撃退したとの報告を受けたミュラーは、シュパイデルとシュトライヒャーを呼んだ。 「そろそろ仕掛けてくる頃合いだ。シュパイデル大佐、殿下とアレクシス殿を頼む」 「それは宜しいが、あなたはどうなさるのです」 「わたしがここを離れるわけにはいかない」 砂色の瞳が特に凄絶な光を湛えたわけでもなかった。ミュラーの口調は、通常の業務に関する連絡を伝える時と変わらなかった。 「わたしは最後までここにいて、その時になったら、卿らに合流する。シュトライヒャー大佐。卿には貧乏くじを引かせるが、わたしとつきあってもらうぞ」 「了解です、元帥」 シュトライヒャー大佐は生真面目な口調で応じた。 「鉄壁ミュラーの戦いぶりをしかと拝見いたします」 「わたしはヤン・ウェンリーの首は取れなかったが……」 それがミュラーの応答だった。 「ヤン・ウェンリーから皇帝<カイザー>を最後までお守り申し上げた。今度、アレク殿下をお守り申し上げれば、何というあだ名がもらえることか楽しみでなくもないな」 「ミュラーげんすい?」 「ご心配には及びません、アレク殿下、それにアレクシス卿」 不安げな少年二人に、ミュラーは笑いかけた。 「お二人には後ほどお会いいたします」 予想はしていたとしても、そのタイミングまでは測れなかった。 二七日早朝、一七度目の突入が行われ、ミュラーが迎撃を命じた直後だった。 要塞司令官の席を離れ、中央司令室の壁の一角に背を持たせかけてスクリーンを見つめていたミュラーの、ちょうど死角になるような位置に一人の士官がするりと滑り入ったのだ。 一六度もの白兵突撃を迎撃し、しかもすべて撃退してきた例は、これまでの帝国軍の歴史にもほとんどない。司令室の中は報告と命令、さらに復命の声がひっきりなしに飛び交い、たとえこそおかしいのだが“戦場のような”騒ぎのただ中にある。 その中で、奇妙な動きを示す士官の姿は、不思議なほど周囲の騒ぎの中に溶け込んで誰の視線も吸い寄せていなかった。 じりじりと、ほとんど目に付かないほどの動きで、その士官はミュラーとの間合いを詰めていく。す、と動いた右手がポケットから抜き出されたとき、小型のレイ・ガンの銃身が照明を弾いて鈍く光った。 ひときわ大きな怒号が上がった。 「敵、さらに増援してきます!」 「こちらも予備を繰り出せ、一人も残しておく必要はない」 「しかし、それでは次の敵襲に……」 「今、これを撃退しなければ、次はないのだ!」 叫びが飛び交い、すでに騒然としていた室内が、さらに騒音の水位を上げた。全員の注意が戦闘情報スクリーンに吸い寄せられ、室内を見渡す目が絶えた。 瞬間…… 声にならぬ声を上げて、士官は一気にミュラーとの距離を縮める。抜き出したレイ・ガンを構え、至近距離にとらえた砂色の髪の元帥の姿めがけてトリガーを引き落とす…… まるで突き飛ばされたような衝撃が全身を突き抜け、士官は視界が反転するのを感じた。 撃たれた……と気づく前に、ミュラーの右手に、魔法のように現れたブラスターを信じられぬものを見る目で見つめる。 「ワーレンは腕と引き替えに、卿らの手口に関する貴重な戦訓を我らに与えてくれた。卿の動きなど、さっきから目に入れていたのだ。一度使ってうまくいったからといって、何度でも同じ手を使っていては、勝利の女神には笑いかけてはもらえんぞ」 だが、ミュラーは誤っていた。“彼ら”は“何度でも同じ手を使って”はいなかったのである。 士官を取り押さえた衛兵の一人が鋭く警告を発し、ミュラーが振り返ったときはすでに手遅れに近かった。 中央司令室のコンソール群に着いていた数十名のオペレータの中から二〇名近くがいきなり立ち上がったのだ。 「伏せろ!」 その叫びとどちらが先か判じがたい。 うなりを上げて室内に火箭と火線が交錯した。立ち上がっていると着席しているとにかかわらず、つぎつぎに人影が血煙の中に撃ち倒されていく。コンソールやパネルに食い込んだ火線が火花を立て、焔を巻き上げる。電路や動力伝達系に沿って帯状に小規模な爆発が連鎖した。 ミュラーはキルヒアイスやルッツほどの銃の名手ではなかったが、決して下手な銃手でもなかった。 飛び交う火線を転がって避けながら、冷徹に一人、また一人とブラスターで撃ち抜いていく。 だが、三人目までを射殺したとき、悪運がミュラーを襲った。 集中した火線が壁面に乱反射し、その内の一本が彼の左肩を抉ったのだ。 灼けつくような激痛に襲われ、ミュラーはフロアにおり崩れる。 「閣下!」 シュトライヒャーが駆け寄り、壁際へとミュラーを引きずっていく。 「敵は……?」 「司令室の四分の一がいつの間にか敵方に回っています」 シュトライヒャーの声が、憤っていると言うよりも呆れていた。 「通路も突破されました。間もなく、司令室に突入してきます」 その言葉が終わる前に、フロアが波打った。司令室の頑丈なドアが開かれ、装甲服を不気味な灰色に輝かせた装甲兵が、鋼鉄の濁流となってなだれ込んでくる。僅かに抵抗を続けていた帝国軍の兵士も、圧倒的な数の差の前に銃を投げ出して両手をかざす以外になかった。司令室がほぼ完全に制圧された時、シュトライヒャーがミュラーを引きずって司令室の一角まで後退していたが、それ以上の退路は完全に断たれていたのだ。 左右を見回すシュトライヒャーは、そのいずれの方向もが、銃口で満たされているのを見て取り、うめき声を上げた。 「ナイトハルト・ミュラー元帥とお見受けする」 指揮官らしい、一歩を進み出た装甲兵が声を発する。憎悪に満ちた声。これに似た声を、ミュラーは一度だけ耳にしたことがある。一〇年……一〇年余り前。場所はやはり要塞。そう、ガイエスブルグのあの戦勝の広間。 「そうだ、卿は誰だ」 「マルツウェル。コルトニー・ゲオルグ・マルツウェルと言えば、思い出していただけるか」 「マルツウェル?」 「リップシュタットの時は直接お手合わせ願えなかったが」 「……アンスバッハの部下だな、卿は」 ミュラーは思いだした。ガイエスブルグ要塞宙域での艦隊決戦。ワーレンが、“貴族連合軍にしては骨のあるのと出くわした”と語っていた。後日、それがマルツウェル大佐麾下の巡航戦闘集団だったことは、ラインハルト陣営の将帥たちに広く知られるところとなっている。 「アンスバッハは最後まで陛下のお命を狙ったが、卿もそうか?」 「ローエングラム侯には……」 マルツウェルはラインハルトを皇帝とは呼ばなかった。 「消しても消し切れぬ恨みがある」 「アレク殿下の所在なら、わたしに訊いても無駄だ。探し出せるものなら、探し出してみるがいい」 「元帥に訊きたいのは、ローエングラム侯の子息の所在ではない」 「なに?」 「アレクシス・フォン・シュペーア卿はいずこか。ローエングラム侯の子息とともにおられるのか」 「アレクシス殿を狙ってどうするのだ?」 「シュペーア伯爵家は貴族連合軍の裏切り者だ。ブラウンシュヴァイク公もアンスバッハ准将閣下も亡くなり、門閥貴族と呼ばれた正統な銀河帝国の藩屏たちはこの世から消え去った。にもかかわらず、シュペーア伯爵だけがローエングラム侯陣営についたことで、なおこの世の春を謳歌している。正当な裁きが下されるべきだ」 「……卿は……もはやゴールデンバウム王朝も、門閥貴族も、この世にとどまり続ける理由を失ったことに気づかないとでも言うのかS」 「そのようなものはどうでもよい」 マルツウェルの口調はせせら笑うでも激昂するでもなく、まったく起伏を示さない。ある種のロボットをミュラーは連想した。 「アレクシス卿がローエングラム侯の子息とともにおられるのなら、所在を元帥に問うのは時間の無駄だ」 「わたしをどうする。卿らの捕虜にするのか」 「いや、死んでいただく。元帥を味方に付けようとしても無駄だし、我々にその気もない。ローエングラム王朝の元帥を最初に戦死させたという栄誉なら、多少の食指も動く」 無造作に銃を構える。 「では、ごきげんよう」 火線が迸った。外しようのない至近距離。最大出力に調整されたブラスターは、一撃でミュラーの脳漿を四散させる……はずだった―――が、銃口を迸ったビームはむなしくフロアに食い込み、そこに大きなくぼみを穿っただけだった。 「逃げたが、さすがだな」 最後の一言を口にする前に、フロアが開いてミュラーとシュトライヒャーを飲み込むのを、マルツウェルは確かに確認していた。 「とは言え、逃げ切れはせん。別にミュラー元帥にご案内頂くには及ばないが」 中央司令室からおよそ三〇〇〇メートル。局所的に人口重力を逆転させた緊急脱出用シュートは、これも緊急用の予備宇宙港に直結していた。目立ち過ぎる『クリームヒルド』の代わりに、高速の軽巡航艦が一〇隻、この予備宇宙港に収容されていたのである。要塞内の内通者を予測したミュラーが、万一に備えて待機させておいたものだった。 とは言え、二〇〇〇隻近くもの海賊艦隊が游弋する中、わずか一〇隻の軽巡航艦での脱出を図るなど、 「できれば避けたいな」 とシュトライヒャー大佐にはこぼしていたミュラーである。 果てしなく続くかと思われた浮揚感覚が、不意に柔らかなクッションで受け止められる感覚に取って代わられた。降下の速度が一気に鈍り、ふわりという感じでミュラーとシュトライヒャーはフロアに降り立つ。とは言え、撃たれた身には衝撃が大きく、ミュラーはしばらくのあいだ、苦痛に呻吟しなければならなかった。 「鎮痛剤を、元帥」 「いらない……」 「しかし……」 「今、クスリで動きを鈍らせるわけにはいかないのだ」 頷き、シュトライヒャーは壁面のスイッチを弾く。シュートの上の方で重々しいうなりが幾重にも轟く。うなりがうなりを呼び、巨大な不協和音と化してあたりを覆う。 「シュートの閉鎖壁は正常に作動しているようです」 「後を追ってきた連中がいるかな?」 「さて……」 追ってくれば、閉鎖壁に叩きつけられる。三〇〇〇メートルの高空からパラシュートもなしに飛び降りたのと同じことになる。 「では、元帥。大丈夫ですか」 「……と思うが、いささか自信はないな」 緊急奪取用シュートの基部には人工重力装置が備えられ、要塞壁面を『下』とする〇・二Gの重力がかかっている。一方、シュートの外は要塞中心部が『下』になっている。こちらも重力加速度は〇・二G。一歩、シュートの基部を出れば、いきなり上下が逆転するため、中間に無重力の空間が設けられている。 シュトライヒャーに続いてミュラーはドアの縁から身体を放り出すようにする。負傷の苦痛を堪え、身体を回転させて反対側のドアにたどり着く。 ドアが開く。 「―――……!」 いきなり銃口を突きつけられ、ミュラーは思わず後じさる。 「な……卿ら……」 それがシュパイデルとともにアレクとアレクシスを警護していた衛兵たちであることに気づいて、今度こそミュラーは愕然と色を失う。 「ミュラーげんすい!」 「殿下!」 アレク、アレクシス、そしてシュパイデルの三人が、いずれも銃口の包囲の中にあった。 「面目ない……ミュラー元帥……彼らまでが内通者だとは……」 シュパイデルの声も屈辱に歪み震えていた。 「身元の確かな男たちだったはずなのだが……」 衛兵たちは無言でミュラーたちを促す。銃口を背に押しつけられている状態では、ミュラーとしても手の施しようがなかった。 「ミュラーげんすい、けがしたの?」 頬にこびりついた血の痕をめざとく見つけたのだろう。アレクが心配そうに碧い目を見開く。その目が、八歳の少年とは思われない瞋恚の火をを灯して、銃を突きつけている男たちに向けられた。 「なに……大したことはございません。鉄壁ミュラー<ミュラー・デア・アイゼンルン・ウォンド>はこの程度の怪我ではびくともするものではございませんよ」 「お医者さまに診せなきゃいけないよ、げんすい。いっぱい血が出てる」 「どうか殿下」 ミュラーは笑って見せた。張りつめていたものが切れかけているのか、左肩の傷口からは凄まじいほどの痛みが全身に走り始めていた。出血が止まっていないらしく、流れ落ちていくなま暖かい流れが、感覚が半ば失われた左腕に沿ってでも感じられた。致命傷ではないが、手当が遅れれば生命に関わる負傷に違いない。 それでもアレクを不安がらせるような言葉を口にすることは、その矜持にかけても許せない。 「どうか、殿下。そのことは小官には内密にしておいて下さいませ」 「え?」 「それと気づかねば、それほどの痛みも感じませんので」 「でも……」 いきなり近くの衛兵がライフルの銃身を振りかざす。 反射的にアレクを庇った背に銃身が食い込んだ。 「何をする!」 食ってかかりかけたシュパイデルの肩口を無造作に銃身で薙ぎ払う。止めようとしたシュトライヒャーも、容赦なく銃身の殴打で報われ、フロアに叩きつけられた。 ミュラーに限らず、シュトライヒャーもシュパイデルも訓練された軍人であり、格闘術の心得もある。しかし、無言で揮われた暴力は、彼らが五歳の子供ででもあるかのように無造作に薙ぎ払ってしまう。 シュパイデルが十分に身元を確認し、その忠誠にも疑問がないと判断したはずの衛兵たちが、なぜ内通者などになっているのか。なぜ、この衛兵たちは無言で、しかも特に理由もなく無造作なまでの暴力に訴えてくるのか。苦痛に呻吟しながら、ミュラーは胸元に冷たい手を差し入れられたような悪寒を感じる。 かかとを打ち鳴らす複数の乾いた音。 視線の先に、装甲服の鈍い灰色が靄のように揺れていた。 「―――万事……休すか」 アレクには聞こえぬよう、ミュラーは口の中で呟く。窮地を絵に描いて、額縁を付け、さらに画家のサインまで入ったような状況ではないか。 「最後の最後まで退路を用意されているとはさすがだ。五度、旗艦を変えた提督だけのことはある」 マルツウェルの口調は相変わらず完全に平板だった。 「―――卿になど褒められても名誉でも何でもない」 応酬し、ミュラーは態勢を整える。すでに左肩から指先にかけての感覚はない。指先から血が小さな滴となって滴り落ち、軍服の袖が腕に重くまつわりついているのも感じない。肩の傷の痛みは激しく、ともすれば目が眩みそうになるが、ミュラーはそれを無視することに決めていた。 「殿下は渡さぬ。アレクシス殿もだ」 「ローエングラム侯の子息には興味はないと言ったはずだ。我々はアレクシス殿を保護する」 「な……!」 シュパイデルだった。 「何だと。アレクシスさまになにをするつもりだ!」 「死にゆくものが知る必要はない」 「冥土の土産とやらいうものは、卿の知識にはないのか?」 「挑発も無駄だ、元帥」 マルツウェルが合図し、複数の銃口がミュラーとシュパイデル、そしてシュトライヒャーに突きつけられた。軽く頷き、マルツウェルは右手を肩の高さに上げる。 「ではもう一度……ご機嫌よう」 振り下ろされる寸前だった。微かに動きかけた右手が、まるで電源を切られたように急停止し、銃のトリガーにかかった衛兵たちの指がびくんと痙攣するように動き、そして止まる。 混乱と沈黙が手を取り合って何度も男たちの周囲を踊り巡った。目にした光景の意味が理解できない戸惑い、畏怖に似た驚きが、装甲服のマスクの奥の目に浮かんでいた。 アレクだった。 アレクが両手を広げて、ミュラーたちと銃口のあいだに立ちふさがっていたのだ。 「ミュラーげんすいを撃つな!」 「……これは、ローエングラム侯のご子息」 その姿に感嘆したかどうかは別としても、マルツウェルの口調は悪意を隠さなかった。 「げんすいを撃つんだったら、アレクを撃て!」 凛としたしたアレクの声。 「―――……!」 取り囲んだ衛兵たちがおもわず半歩を下がる。 「宜しい」 「……」 「不逞にも正統なるゴールデンバウム王朝を纂奪した、ラインハルト・フォン・ローエングラムの王朝で皇太子を僭称するアレクサンデル・ジークフリード殿下に、要請申し上げよう」 「きさま……殿下を愚弄するか……」 「わたしは“でんか”とお話ししている……さて、要請を受けてもらえれば、ミュラー元帥以下の扱いは再考する」 「用は何だ?」 アレクの声に震えはない。衛兵たちの足がさらに半歩の半分だけ後ろに下がるのを目にして、マルツウェルは舌打ちしたようだった。 「負けたと認めること」 「負けた?」 「ローエングラム王朝麾下の銀河帝国軍は、宇宙海賊マルツウェル・グループ< グルッペ >に完膚無きまでに敗北したと、“でんか”の名前で布告していただく」 ミュラーは戦慄する。かつて、ラインハルトその人が指摘しているではないか。ローエングラム王朝を将兵が支持する所以は、ラインハルト自身が正義であるからでも、有徳者出あるからでもない。彼が常勝不敗であるからにほからならないと。 一〇万隻以上の戦闘艦艇と数千万人の将兵を要するローエングラム王朝銀河帝国に比して、マルツウェル・グループはわずか二〇〇〇隻、数万人を擁するに過ぎない宇宙海賊である。その海賊の領袖に、アレクが“負けた”と認めることは、獅子帝ラインハルトの尊厳に真っ正面から汚物をなすりつけるにも似た行為である。 いや、このマルツウェルという男は、それを承知の上でアレクに屈辱を要求している。 装甲兵の一人が携帯用通信機をアレクに突きつけた。いつ入力したのか、すでに屈辱をそのまま文字にした文面がスクリーン上に踊っていた。 『我が帝国と帝国軍は、マルツウェル・グループを称する宇宙海賊に対して全面的、かつ徹底的な敗北を喫し、以後、同グループに対しては“敗北者”の名を冠して対することを認める。新帝国暦一〇年五月二八日、正統なる銀河帝国の纂奪者ラインハルトの子息にして、ローエングラム王朝銀河帝国皇太子僭称者アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム』 「応諾されよ、でんか」 アレクはじっと文面を見つめている。八歳の彼にも、文面の意味するところ、そして意図するところがはっきり分かった。 手を差し出す。その手に、装甲兵が通信機を手渡す。 「いやだっ!」 投げつけられた通信機がマルツウェルの装甲服に叩きつけられ、細かな金属片とガラスの細片と化して周囲に散らばった。 「嫌だ! こんなこと、絶対にいやだ!」 「では、やむを得ない。元帥たちには死んでいただく」 「殿下、おさがりくださいっ」 「いやだっ! ミュラーげんすいは撃たせないっ!」 「殿下ぁっ!」 「聞き分けのないガキにはお仕置きが必要だな。構わぬ、一緒に片づけてしまえ」 多分震えていたはずだった。一〇丁を超える銃口が、至近距離からアレクに狙いを定めたのだ。アレクも、銃を構えた衛兵たちが数ミリ、指を屈伸されるだけで、自分がヴァルハラへの旅路をたどらなければならなくなることははっきりと分かっていた。死ぬということはまだよく分からなかったが、母<ヒルダ>や妹<クリスティアーネ>たちには二度とあえなくなるのだと言うことだけは。 ―――でも、父上<ファーター>に笑われるようなことをしちゃいけないんだ。だって…… 再びマルツウェルの右手が高々と差し上げられる。 ―――だって、一生懸命頑張るって、約束したんだもんT 「では、三度目のご機嫌よう」 「殿下っT」 思わず、アレクは両目を固く閉じた。 その時――― 轟音。 予備宙港の外壁が金属的な悲鳴を上げて揺さぶられ、きしみ声を上げた。激震に似た突き上げるような振動にフロアが揺れ、マルツウェルたちが一斉にバランスを崩して横転する。 「なにごとだっ!」 悲鳴に近い叫びがマルツウェルに応じる。 「敵です」 「敵だと。馬鹿な。いかに疾風ウォルフだとて、この時間で帝都から駆けつけられるはずは……」 「違います、疾風ウォルフではありません」 報告する声は恐怖と惑乱の混淆だった。 「『ブリュンヒルト』と『バルバロッサ』です。『ブリュンヒルト』と『バルバロッサ』が、ブングルド駐留艦隊を率いてタッチダウンしてきました!」 報告に偽りはなかった。 第一辺境軍管区ブングルド駐留艦隊三五〇〇隻を率いていたのは、まぎれもなく帝国軍の象徴とも言うべき純白の戦艦であり、その傍らに寄り添っていたのは真紅の大型高速戦艦だったのだから。 『ブリュンヒルト』と『バルバロッサ』出現……すなわち、皇帝ラインハルトと主席元帥キルヒアイス。帝国最高の名将二人の出現は、瞬時にしてマルツウェル・グループの戦意の最後の一片までを蒸発させるに十分だった。 まとまった秩序も作戦もなく、我先にノイストリエンブルク要塞から離れ、闇雲に星系外への離脱を図る。無論、それを易々として見逃すラインハルトとキルヒアイスではあり得なかった。キルヒアイスは自ら一〇〇〇隻を駆って海賊艦隊の中央部に突入し、凄まじいほどの速度と可変性に富んだ動きで螺旋状にこれをかき回す。ほとんどの海賊艦はろくに抵抗もせずに艦列を崩し、キルヒアイスの鋭鋒を避けようとして逃げ惑った。 その鼻先に膨大なビームとレール・キャノンの砲弾が注ぎ込まれ、瞬時に海賊艦隊の一角は連なり合う核融合爆発の火球に包み込まれた。予め彼らの逃走経路を予測していたラインハルトが火線を集中させたのだ。 中には組織だって『バルバロッサ』を討ち取ろうとする海賊艦の集団もあったが、速度と可変性、そして集中される火力でキルヒアイスに敵すべきもなかった。絶えかねて艦列を四分五裂させたところに、外側からラインハルト艦隊が襲いかかる。ラインハルト艦隊とキルヒアイス艦隊は、互いに時に敵を打ち砕くハンマーとなり、時にハンマーを受け止め敵を押しつぶす鉄床<スレッジ>と化して、次々にマルツウェル・グループを宇宙の塵へと変えていったのである。 『ブリュンヒルト』がノイストリエンブルク宇宙港に入り、装甲擲弾兵部隊が要塞内を制圧したのは二七日午前九時二二分。アレク皇太子、アレクシス・フォン・シュペーアとミュラー、シュトライヒャー、シュパイデルらが予備宇宙港で発見されたのはその二時間後のことだった。 さらに、ラインハルトとキルヒアイスの手を逃れたマルツウェルの残党も、記録的な速度で駆けつけてきたミッターマイヤー麾下の大艦隊に片端から捕捉され、一方的に撃破されていった。 ノイストリエンブルク要塞の離脱に成功したマルツウェルは、脱出よりも戦いを望んだようだった。僅かな残存部隊をまとめて、黒色槍騎兵艦隊に挑戦を試み、厚い護衛の艦列を突き破って、ビッテンフェルトの旗艦『王<ケーニヒス・>虎<ティーゲル>』にまで肉薄したのである。 「敵ながらあっぱれなやつだ。全速前進、主砲斉射三連T」 ビッテンフェルトは当然のように『王<ケーニヒス・>虎<ティーゲル>』自らの主砲斉射でこれに応じる。火線と火線が交錯し、『ゲーニヒス・ティーゲル』の大口径主砲の放ったエネルギーの奔流が、核融合爆発の焔の渦の中に海賊戦艦を沈め去った。 「コルトニーの愚図野郎め。さっさと仕事をすましゃあいいものを……」 ミッターマイヤー艦隊来航を知らされたときの“シュピーゲル”・クルツバッハの反応がそれだった。 「俺は逃げる。昔のよしみで見逃してくれるとありがたい」 わざわざアルベルト・フォン・シュペーアを呼び出し、そう言い送ったあたりが“シュピーゲル”らしい犀利さだった。 「馬鹿な、この上、見逃したのではシュペーア伯爵家の名折れ!」 激昂したアルベルトが追撃にかかってくることも“シュピーゲル”は見通していたらしい。我がちに追撃に出たアルベルト麾下の艦隊は、鮮やかに左右に展開したクルツバッハ艦隊の強かな逆撃を受けることになった。 僅か三時間の戦闘で、アルベルトの艦隊は全体の二割に達する艦艇を撃破・損傷させられ、艦隊としての機動能力を失って“シュピーゲル”・クルツバッハの脱出を許してしまったのである。 とは言え、疾風ウォルフ<ウォルフ・デア・シュトルム>の追撃は凄まじかった。ミッターマイヤー艦隊の先駆、バイエルライン上級大将の前衛集団は星系グンナルでクルツバッハ艦隊を捕捉する。丸半日以上におよんだ艦隊戦闘で、“シュピーゲル”自身は取り逃がしたものの、その主力艦艇のほとんどを撃破し、第一辺境軍管区に猖獗を極めていた宇宙海賊でも最大のグループ二つをほぼ壊滅に追い込んだのである。 『シュペーア中将の艦隊が敵の足止めに専念し、あと半日の時間を稼ぎだしていれば、“シュピーゲル”・クルツバッハの脱出も不可能だった』と評される。動乱後、アルベルト・フォン・シュペーアが予備役編入、シュペーア伯爵家からの第一辺境軍管区の軍事的指揮権返納の最大の理由となる。 一方、ケスラーとレンネンカンプはフェザーン回廊宙域からノイストリエンに至る約三〇〇〇光年の宙域に対して虱潰しの捜査を実施した。その結果、惑星アガレスにおいて大主教アロタヤ・イニエモフ以下三五〇名の地球教徒を逮捕する。押収した資料から、帝国軍の補給通信施設への同時多発テロを計画していた、旧帝国における大資本家グループ、旧自由惑星同盟の『民主主義原理主義者』のグループなど、合わせて四〇〇名以上を一挙に検挙捕縛したのである。この捕縛劇がなければミッターマイヤー艦隊の進撃速度は大幅に鈍り、マルツウェル、クルツバッハ両海賊グループの捕捉殲滅の実現はほぼ不可能であったことに間違いない。 そして二九日。帝都は、『皇帝陛下、ならびに主席元帥ともに健在にして、すでにノイストリエンへ帰還せらるものなり』との報告にわき返る。 翌三〇日、獅子の泉宮へ押し掛け、皇妃ヒルダに対して万歳を唱えた群衆の数は、分かっているだけでも二〇万人を超えたのである。 いくつかの謎を残しながらも、“シュペーア動乱”はこうして終幕を迎えることになった。 ☆☆☆ 「またしても卿には借りができてしまったな」 担架代わりの自走ベッドに乗せられたミュラーを迎えたラインハルトの第一声がそれだった。 ミュラーは、傷そのものの深さはともかく、失血が甚だしかった。生命は辛うじてとりとめたものの、まだ顔は土気色であり意識もとぎれがちだった。 「へ……いか、ご無事で……」 「心配をかけた。済まぬ」 「い……いえ。殿下を……危地にお曝し申し上げ……お詫びの言葉も……」 「なにを言う」 豪奢な黄金の髪を揺らめかせ、ラインハルトは大きく首を振った。 「アレクを守ってくれたと聞いている。このようなことになるとは思ってもいなかったが、よくアレクを守り抜いてくれた」 「いえ……」 枕の上で、ミュラーの顔が左右にゆらゆらと揺れた。 「鉄壁……の名、ご返上申し上げます」 「なに?」 「鉄壁の名は……殿下にこそ、ふさわしい。殿下をお守りするどころか……臣は殿下にお守りいただきました。ゆえに……恐れながら、殿下にこそ鉄壁の名を……名乗っていただくことこそ、ふさわしいかと存じます」 これ以上しゃべり続けると容態が悪化する可能性があると間に入ってくる医師を遮り、ミュラーは予備宇宙港でのできごとを語り続けた。 「……マルツウェルは、アレクシス殿を拉致し、おそらくは傀儡としてシュペーア伯爵家を……纂奪する心算であったと」 「アレクを狙うと見せかけ、実の狙いはシュペーア伯爵家か……」 「殿下は……陛下と殿下ご自身の……矜持を、みごとにお守りになられました……」 ミュラーは言う。皇妃ヒルデガルトの名で送られてきた電文。『帝国にとって最善と思われる判断を期待します。帝国にとって最善であるとアレクサンデルが信じる限り、わたくしの支持はあなたの元にあります』。突きつけられた銃をも恐れないアレクの勇気と、あくまで帝国と皇帝の名誉を守り抜こうとする判断力は、明らかにヒルダからの通信に支えられたものだった。 「そうか……」 聞きながら、ラインハルトはふっと表情を沈ませた。 彼には分かっていた。『帝国のために最善の判断』……それは時に、アレクに死を選択させることになる。自分なら……おそらく、アレクにそう言い送っただろう。だが、それは皇帝ラインハルトとしての判断なのだ。アレクの父ラインハルトなら、この言葉を口にできないかも知れない。自分が、ヒルダやアンネローゼに向かって『帝国のために』死を選択せよと命じることができるだろうか。ヒルダは一体、どんな思いでこの電文をしたためたのだろう。 ふと我に返り、ラインハルトはミュラーの声が絶えていることに気づいた。 「ミュラー……ミュラー、どうした?」 ミュラーは気を失っていた。義務を果たした安堵感が、その頬に微笑を浮かべさせたままだった。 1