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☆★☆ 戦いの前(ルック) ☆★☆

「真の雷の紋章の守護はユーバーに頼む」
戦いが始まる前、ルックは有無を言わせぬ口調で言い渡した。
「紋章を取り戻しに来るのは、それぞれの継承者達だ。当然、真の雷の紋章にはゲドと、彼の部下達が来る」
「奴らがもっとも手強い……か」
せせら笑う調子のユーバーに、ルックは皮肉っぽく唇を歪めた。
「怖じ気づいたかい?」
「いや、俺でなければあの連中をあしらえまいからな。それに、奴には借りがある」
これまでの集団戦闘では、ユーバーの指揮する魔獣軍は、リーダーであるユーバーの無類の凶悍さで継承者軍の部隊を寄せ付けなかった。が、ルックが真の火の紋章を奪った後、ブラス城にとどめの攻撃をかけた時、彼らの戦いぶりは一変していた。
ユーバーは何度も手近の継承者軍部隊に攻撃を仕掛けたが、ことごとくいなされた。遠距離からの紋章による集中攻撃は、刃を交える前にユーバー以外のすべての魔獣達を薙ぎ倒したのだ。そして、ユーバーがただ一人孤立した瞬間、突然現れたのが、元ハルモニアの傭兵…実は真の雷の紋章の継承者…ゲドの率いる一隊だった。
不覚にもユーバーはゲドの一刀を浴びせられ、集団の戦いでは初めて継承者軍に苦杯を喫したのだ。
「では頼むよ。もう後がないけれど、時間さえ稼いでくれれば、いつ撤収してくれても構わない。人間達の間では『生命あってのものだね』、と言うそうだからね」
「貴様……俺を馬鹿にしているのか?」
平板ながら、歯の間から憎悪と血が滴るような口調だった。
「俺は馬鹿にされることになれていない。気をつけることだ」
「借りを返すことに夢中になって、無理な攻撃を仕掛けないようにって注意しているだけだよ。何しろ、君の『借り』とかいうやつは一度分じゃなくて二度分だからね」
「きさま……」
無表情なユーバーが怒りを露わにするのは珍しいことだった。
ルックの言う通りだった。ブラス城の戦いでの勝利に勢いづいた継承者軍は、一気にこの儀式の地に全力での追撃をかけてきた。セラとユーバーがそれぞれに魔獣軍を率いて迎え撃ったが、もはや彼らの手の内は完全に読まれていた。
寝返ったルビークの虫兵を全滅させ、指揮官のフランツを負傷させて撃退したのが限界だった。ブラス城での戦いとまったく同様に間合いを置いての紋章攻撃で壊滅的打撃を受けた後、ユーバーは襲いかかってきた傭兵デューク隊と戦っている、その側面を、またしてもゲドに急襲されたのだ。
予想外に早いユーバー隊の全滅で、セラの指揮していた部隊はまるで戦うチャンスもないままに、儀式の地へ継承者軍が突入するのを見送る羽目に陥った。
ルックの言う『二度分の借り』がそれだった。
「あれ……三度分だったっけ?」
まったく笑顔も見せぬままにルックの言葉がさらに辛辣さを増した。それに連れて、ユーバーの表情も背筋が冷たくなるような、胸が悪くなるような色合いを帯び始める。
「な……に……ぃ」
「だって、セナイ山でもあの傭兵には敵わなかったじゃないか。結局、真の土の紋章があったから、真の雷の紋章を奪うことはできたけれどね。本当のところは一対一で戦って、勝つ自信はないんじゃないのかい?」
「言わせておけば……」
さっとユーバーが両手を振ると、その両手に細身の剱<レイ・ピア>が現れ出る。ユーバーの愛剣キングクリムゾン。無数の犠牲者の血に染まった深紅の魔剣は、人間離れした(ユーバーそのものがもともと人間ではないが……)長身のユーバーの手に握られて、その切っ先はほとんど地の面を這うほどの長さだ。
「やめろ」
アルベルトが割って入ったが、彼を押しのけるようにセラが進み出て、杖<ワンド・ミラージュ>を構えた。
「やめなさい!」
「邪魔するな」
「セラ、君の出る幕じゃない。下がっていてくれ」
ルックを、セラは無視した。
「ルックさまに逆らうというなら、わたしが相手をします……前にもそう言ったはずです」
「面白い、タカの知れた幻術使いの小娘のくせに、この俺とサシで戦おうとはな。度胸だけは褒めてやるが、度胸だけで勝てるものではないことを教えてやろう」
「いい加減にしないか、三人とも!」
もう一度、セラを押しのけてアルベルトが三人の中央に立った。
「この期に及んで何をやっているのだ。ユーバー、真の雷の紋章の守護では不足か?」
「いや……」
目に見えぬほどの速さでユーバーは腕を上に振り上げる。深紅の煌めきを残して、キングクリムゾンがその袖口に消えた。
「異存はない。時間を稼げばいいのだな。稼げと言うなら、必要なだけ稼いでやる。ただし、今度はトドメを刺すななどという甘っちょろい指示は聞かん」
「ああ、いいよ。ゲドたちをどうしようと君の勝手だ。君が勝てるならね」
あくまで嘲弄する口調を捨てないルックに、ユーバーの目が血の色に光った―――が、何事かに気付いたように視線がセラに転じ、もう一度ルックへと戻る。両端が吊り上がり、禍々しいV字を描いた唇の端から魔物の牙が覗いた。
「―――つまり、そう言うことか」
「……?」
「よかろう。俺は俺の望みと楽しみのために戦わせてもらう。今度こそ、思う存分にな」
「スケルトンと火馬をつけるが、それでいいか」
「何でも同じだ」
言い捨て、真の雷の紋章を封じたステージに向かいかけた足を、不意にユーバーは止めた。
血光をまつわらせた両眼が、凶暴な怒りをまとってセラと、そしてルックを見据えた。
「きさまには失望したぞ、ルック。天間星の男、真の風の紋章を継承する男よ。俺自身にも失望した。きさまが俺と望みを同じくするモノだと一瞬でも信じたのは、確かに俺の不明だったかも知れんからな」
「な……」
「きさまは人間だ。何と言おうと、たとえ、人の手で作られた、紋章の入れ物でしかない生き物だとしても……な」
そのまま返事も待たず、ユーバーは踵を返した。その肩が揺れ、くつくつ笑いがそれに続く。
「二度、人間どもと手を組んで馬鹿を見た。三度目があるとは、俺も焼きが回ったか」
哄笑の尾を引いて、ユーバーの姿が回廊の奥へ消えた。

***

「ぼくが人間だって……馬鹿なことを」
「ルックさま、時間がありません」
自分は真の火の紋章の元へ向かう―――アルベルトの言葉は判断を仰ぐそれではなく、軍師の指示だった。
「土の紋章のもとへはササライが来る……だから、君は真の水の紋章を守ってくれ」
ルックの指示にサラは黙って頷いた。
アルベルトが補足する。
「真の水の紋章を取り返しに来るのは、ゼクセンの女騎士団長…クリス・ライトフェロー…のはずだ。とすれば、彼女と行をともにするのは『誉れ高きゼクセンの六騎士』に違いない。セラが呼び出せる限りの強力な魔獣を繰り出しても、白兵戦になったら長くは持たないから、できるだけ紋章戦へ持ち込むことだ。ゼクセンの騎士の紋章の力はいずれも弱い―――真の水の紋章の継承者であるクリス・ライトフェローですら、セラから見れば子供のようなものだ」
自信満々なアルベルトの表情を、セラは黙って見詰めていた。
「前衛をホラービーストで固め、セラの左右にはエンプーサを付ける。連中が前衛のホラービーストどもと戦っている間に、セラとエンプーサとで紋章攻撃を叩き込めば、連中を退けるのは難しくない。ゲドたちより、よほど扱いやすい連中だ」
「この戦いに勝てるかどうか、セラには分かりません」
深い淵を思わせるセラの両目が静かに瞬いて、ルックを見つめて来た。
「でも、必要なら、生命に代えても。セラは、ルックさまがもういいとおっしゃるまで、彼らを食い止めて見せます……」
静かに一礼し、セラはルックたちにくるりと背を向けた。そのまま、もう一度も振り返らず、真の水の紋章の安置されるステージへと姿を遠ざけていく。
「これでいいのですか?」
回廊の奥へ、その姿が消えたとき、アルベルトがルックに声をかけた。
「ああ」
「彼女はゲドには敵わないし、ゲドは時に非情に徹することのできる男です。ゲドに敗れたとき、セラの生命はない……そう言うことですね」
「―――セラは負けないよ、アルベルト」
ルックは背中越しに応じた。
その視線は、セラが後ろ姿を消した回廊の奥から動かなかった。
「ただ、ユーバーはゲドに復讐したがっていた。望みを叶えてやっただけのことさ」
なら、あそこまでユーバーを挑発し、ゲドとの戦いに向かわせる必要はなかった……その言葉を、ルックは呑み込む。ユーバーの言葉が納得できたのだ。つまり、あなたも人間だった、ということだ……その言葉もまた、ルックは咽喉の手前で押しとどめた。
もはや、言葉の段階は終わっている。一〇〇年も真の雷の紋章を宿し続けたゲドでさえ、彼の言葉を拒否したのだ。継承者達<かれら>と言葉で分かり合えるようになるなどとルックはまったく思っていなかった。
―――セラ……
呟いている自分に、ルックは気付いていなかった。

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