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☆★☆ 真の水の封印球の戦い ☆★☆

闘いは最初からセラに不利だった。
ホラービーストでは竜騎士の突撃をまったく阻めなかった。
竜騎士が巨大な剣を抜き放つのと、純白の鱗を煌めきわたらせながらドラゴンが宙に舞い上がるのが同時だった。セラが烈火紋章の詠唱を始めた時には、ドラゴンの魔焔が視界一杯を深紅の渦に塗りつぶしていた。
とっさに張り巡らした結界が、文字通りに髪の毛一筋のところで魔焔を食い止めたが、それでもトロルの棍棒を受け止めたようなショックと、殴りつけられるような熱気がセラを襲う。
息を継ぐ暇もなく、竜騎士の剣が降ってくる。結界の力を籠めた杖<ワンド・ミラージュ>で受け止めたが、衝撃は杖ごと腕をもぎ取られそうなほど重かった。
不意に空が閃光で溢れ返った。
エンプーサが雷鳴の紋章<ひしょうするらいげき>を発動したのだ。
轟音が神殿内を満たす。目もくらむような光が天と地を結び、電光の渦となって爆発する。電撃を受けた騎士が吹き飛ばされ、壁に激突する。さしもの竜騎士も直撃を躱すのに必死だ。
間髪を入れずにもう一人のエンプーサも巨大な雷光の槍をたたきつけ、ホラービーストどもが青白い焔を騎士達に浴びせかける。
魔獣たちの凄まじい連続攻撃に、クリス達の切っ先が鈍り、いずれも膝を突き、あるいは肩を大きく揺らして喘いでいる。
―――今なら……
一気にとどめを刺せるかも知れない。
額に手をやり、セラは詠唱を始める。蒼き門の紋章がちりちりと青ざめた光を放ち始める。流水と烈火だけでは不十分だろう……闘いの前、ルックがそう言って移し宿してくれた紋章だ。
いきなり夜が訪れたかのようにあたりが闇に包まれる中、地平の彼方から途方もない大きさの怪物が召喚されて現れた。カッと開いた口の中に光が満ち始める。
が、その光が閃光の束となってほとばしる寸前―――
さっとクリスが右手を挙げた。
その指先から、澄み切った青白い光が空に伸びる。沖天に達した光は、澄明な蒼い光の滴となってクリスたちを包み込んだ。たちまち、それまで気息奄々だった彼らが生気を取り戻し、構え直す剣の切っ先にも力がみなぎり渡った。
「―――流水の紋章<やさしさのながれ>!」
何て速い詠唱! さすがは真の水の紋章の継承者……そう思ったとき、セラの集中が僅かに緩んだ。
「くらえっ!!」
至近に竜騎士がいることを、うかつにもセラは忘れていた。
魔焔と、炎を切り裂いて襲いかかる竜騎士の剣を、セラは辛うじて躱したが、詠唱を途切れさせてしまった。あと数秒で決定的な一撃をはき出すはずだった召喚魔獣がかき消すように姿を消してしまう。
「しまった……!」
唇を噛んだが取り返しは付かない。
烈火紋章から炎の壁をほとばしらせて、竜騎士の攻撃からのがれた時、不吉極まるどよめきに空気が震えるのを感じた。
お下げ髪の少女の額から、水竜に向かって閃紫色の光が伸びていた。
「まさか……」
驚いている暇はなかった。
振り仰いだ空に、岩山のような氷の塊の回りを長大な尾をくねらせながら緩やかに舞っている水竜の姿があった。蒼き門の紋章の放つ、蒼い都の魔術。
次の瞬間、空気を引き裂く異様な音と共に氷塊が落下を始める。
セラの結界をもってしても受け止めるのがぎりぎりだった。魔獣たちもまた、地にたたきつけられ、あるいは跳ね飛ばされてそれぞれに打撃を受けている。
「―――!!」
裂帛の気合いが轟く。
クリスの斬撃が一頭のホラービーストの急所を抉った。巨大な魔獣は大きく足下を蹌踉<よろ>めかせ、二、三歩たたらを踏むと横倒しに倒れ伏した。
「―――まだ……」
エンプーサが報復の雷鳴を再び轟かせる。その間に、セラは詠唱を口に含んだ。力は劣るがより早く召喚できる蒼き門の魔獣を呼び出したのだ。
エンプーサの放った電撃と重なり合うように、空を行く海賊船の姿をした召喚魔獣の吐き出す炎の塊があたりを火の海に変え、吹き上がった焔と黒煙が敵の姿を覆い隠す。一頭になったホラービーストが、『止<とど>め!』とばかりに幾重にも重なった蒼い焔の環で手当たり次第になぎ払う。旅の剣士姿の男と戦斧の巨漢が炎になぎ倒されるように倒れ、蒼き門の紋章使いの少女が壁際に吹き飛ばされるのが見えた。
―――これなら!
あるいはルックが儀式を進めるに十分な時間を稼ぎ出せるばかりか、彼ら全員を倒し切れるかも知れない。
そう思ったときだった。
もの凄い轟音と共に神殿が激しく揺れた。
「―――!!」
それは、ユーバーが護っているはずの真の雷の紋章が安置されていた神殿の一角。
ユーバーが勝利を得た徴とは、なぜかセラには思えなかった。その瞬間、セラが感じたのはユーバーのどす黒いまでの憎悪だったのだから。
勝ったなら、ユーバーは血に飢えた雄叫びを上げるか、相手のふがいなさへの侮蔑を吐き捨てるか、いずれにしても瞋恚に満ちた咆吼を上げたりはしない。
動揺が隙を生んだのかも知れなかった。
渦巻いていた焔が途切れた瞬間、セラは自分が白竜と半歩の距離で対峠していることに気づいた。
おそらくクリスの発した水の紋章による蒼い輝きの尾を引きながら、白竜と竜騎士が雄叫びとと共にセラに躍りかかった。
「くぅ―――っ!!」
セラが結界を強めるのと、白竜が前肢を結界に叩きつけるのがほとんど同時だった。
凄まじい一撃を、セラの結界は辛うじて耐えた。だが、ドラゴンの一撃に引き続いた竜騎士の白刃は防ぎ止められなかった。
結界を突き破った白刃を、咄嗟に杖<ワンド・ミラージュ>で防ぎ止めたとき、ドラゴンがもう一度、今度はもう一方の前肢を振り下ろした。
「ぐぅっ―――!!」
杖を跳ね飛ばした爪が脇腹に突き刺さる。
激痛を感じるより前に、強烈な力で振り回された。
視界が二転、三転し、何度も空と地面が入れ替わった。
まだ力を残していた結界でスピードが緩んでいなかったら、セラの腕よりも太いその爪は、彼女の身体をまっぷたつに切り裂いていただろう。
全身がばらばらになりそうなほどの衝撃は、それだけで気絶してもおかしくはなかった。両手をつき、跪いた神殿の床が、見る見る赤く染まっていく。
が……
「まだ……まだ……よ」
まだルックが……ルックが……ただ、それだけの想いが、セラの意識を現実につなぎ止めた。
が、はじき飛ばされた杖<ワンド・ミラージュ>はクリスに蹴り飛ばされた。
立ち上がろうとしたが、深く傷ついた身体はもはや言うことを聞かなかった。魔獣たちを操る幻術の、新たな詠唱を始めた時、生き残っていたエンプーサとホラービーストが立て続けに竜騎士とクリスに切り伏せられるのが見えた。
万事休す―――

つかの間の失神から目覚めると、鉄のつま先が目の前にあった。
辛うじて顔を上げる。
真の水の紋章の継承者の姿がそこにあった。
真っ直ぐな、どこまでも真っ直ぐな淡い紫の目がセラを見つめ下ろしていた。
シンダルの神殿の奥で出会ったカラヤの男…ジンバでありワイアット・ライトフェローであった、真の水の紋章の継承者…その男が、『こいつが、この世界で生きていくんなら、おれは死んでもいいって思った』とまで言い切った、その『娘』。
「これまでだな」
「……まだ……まだ……です」
「真の水の紋章を返してもらうぞ。もう、戦う力など、残ってはいるまい」
「紋章は……渡しません……この命に代えても」
その言葉を口にしたとき、クリスの端正な表情がはっきりとした怒りに彩られたような気がしたが、セラは気にしなかった。クリスが怒ろうとどうしようと、それは彼女のあずかり知らぬこと。彼女の使命は、あくまで真の水の紋章を、継承者たちの手から守り抜くことなのだから。
最後の魔法力を集め、気の遠くなるような激痛を伝えてくる脇腹に集中する。痛みはほんの少し和らぎ、身体の奥深くに及んだ致命の傷が僅かに癒されたかに思われたが、彼女に残っていた水の紋章の力はそこまでだった。
はっとするより早く、クリスが間合いに踏み込んできたのだ。
まだ、ルックが儀式を始めた気配はなかった。
クリスの愛剣エーヴィッヒが頭上に振り下ろされる煌めきを目にしたとき、セラは絶望と失意の中で死を覚悟した。
「……もうし……訳ありません、ルック様……セラは……お先に参ります」
強烈な打撃。
そしてすべてが暗転した。

***

「―――!」
物凄い揺れがセラを、深く慈悲深い失神から揺すぶり起こした。
振り返る……当然のように真の水の紋章を納めた封印球は、台座から姿を消していた。
最後の戦いは彼女…セラ…の敗北に終わり、真の水の封印球は本来の継承者の手に戻ったのだ。
杖にすがっても立ち上がる力さえ失い、剣を振りかぶったクリスを目前にした時、セラは死を覚悟した。
『命に代えても、などと軽々しく口にするものではない』
ゼクセンの女騎士団長<クリス>の声だったように思う。
とすれば、クリスはセラにとどめを刺さず、切ると見せかけて彼女を気絶させるにとどめたということになる。
「なぜ―――?」
セラには分からない。
セラは血を見るのは嫌いだ。血と恐怖と混乱、それだけが望みのようなユーバーとは違う。しかし、幻術の力を使って多くの混乱を引き起こし、結果としてクリスの部下たちを含めて無数の人々の生命を奪ったことでは、自分はユーバーと何も変わらない。クリスに一刀のもとに切り捨てられても不思議ではなかったし、戦いを始める前にそれは覚悟していた。
だが、クリスは敢えてとどめを刺さなかった。
竜騎士の白いドラゴンの爪でえぐられた脇腹に最小限度の止血がしてあるのに、セラは気づいた。
もちろん、完璧な手当ではない。止血も完全ではなく、辛うじてそれ以上の出血をとめているに過ぎない。すでに失われた血の量は、床にできた鮮紅色の池の広さをみれば、それがほぼ致命の量に達しかけていたことを悟らせるに十分だった。
「―――!」
傍らに無造作に置かれた包みに、セラは気づいた。開けるまでもなく、独特の包みと微かな匂いで、それが薬であることが、彼女には分かった。儀式の地から脱出して医者のいる場所にたどりつくための、必要最小限度の体力を回復させるだけのぎりぎりの量の薬が、そこにあった。
甘い―――と嗤うべきなのかも知れない。ユーバーやアルベルトなら嗤うに決まっている。わざわざ敵に情けをかけ、再戦の機会を与えるなど愚の骨頂だと。
その時……
もう一度、今度は周囲の壁や柱が根こそぎ、ぐらぐらと揺れるほどの凄まじい横揺れが、耳をつんざくような叫喚が耳をつんざいた。
「―――!!」
同時にセラは全身を硬直させる。声にならない叫び…いや、悲鳴だ。
「ルックさまっ!」
声ではなくて血を吐いたような気がした。
錯覚ではなかった。
脇腹から駆け上がった激痛が、胸から喉元を貫いて、激痛と共に口元から深紅の色を帯びてあふれ出した。
「く……」
膝をつき、セラは喘いだ。
クリスとの、そしてあの竜騎士との戦いでの傷だけではなかった。
「ル……ルックさま……」
ルックの身に何かが起こった。それも、ルックの生命そのものを破壊してしまうような致命的な事態。ルックの魂が上げた、紛れもなく断末魔の悲鳴が彼女の魂と共鳴し、その肉体を傷つけたのにちがいない。
ルックが敗れた…彼女や、ユーバーの戦いが、結局はむだになった…もっとも、セラはユーバーが本気でルックのために戦ったとは思っていなかったけれど…ことよりも、ルックがおそらく死に瀕していることの方が重要だった。
一刻も早くルックさまの元へ―――!!
杖<ワンド・ミラージュ>をかざしても何も起こらない。すでに紋章の力は使い果たし、幻術を使う体力も尽き果ててしまっていた。ばかりか、失血が容赦なくセラの生命力を蝕み、削り取っていく。あっという間もなく、視界が暗くなり、膝が砕けかける。
握りしめていた薬の包みに、セラは視線を落とした。
使えば、ルックのもとへまで“跳ぶ”だけの体力は回復し、一時的にでも傷口はふさがる。しかし、“跳ぶ”ことでなけなしの体力は失われる。“跳ん”だ後は、這うように歩くのが精一杯だろう。悪くすれば、いや、悪くしなくても今度こそ、失血を止める術もなくなるはずだ。
傷を癒すための紋章の力ももはや残っていない以上、“跳ぶ”ことは、そのまま緩慢だが確実な死を意味する。
だが、それがどうしたというのだろう―――
セラは、ためらうことなく薬を口に運んだ。
わずかに身体に力が戻ってくるのを感じるのを待ちかねて、テレポートのための詠唱を始める。
“跳ぶ”……ルックの元へ。
“跳ん”だ後のことは……もう、そんなことはどうでもいい。いずれにしても、ルックを置いて逃げ出すことなどあり得ない自分なのだから。

セラは“跳ん”だ。ただ、ルックの元へ駆けつけることだけを念じて―――

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