「お願いいたします!ここをお開けください!」
真夜中が近い時間であった。すでに準夜勤が終わり、深夜勤の騎士たちが歩哨に立つ時間帯、城の大木戸はしっかりと閉じられ、城内の商店街も鎧戸をおろして寝静まっている。そんな夜更けに、正門脇にある門衛の詰め所の扉を激しく叩く者があった。
「このような夜更けに何事か」
万一にも不意に武器を突き込まれたり、爆発物が投げ込まれたりすることのないように、細かい格子がはめられた覗き窓をあけて、当番騎士が誰何する。
薄暗い外で必死に扉を叩いていたのは、まだ幼いともいえる少女であった。ルーヴェルでよくみかける普通の街娘よりは整った顔立ちと服装をしているが、その髪も服もかなり乱れている。
「お願いでございます!赤騎士団のユリアスさまとラリー様にお取り次ぎをっ」
「ユリアス、様と言ったか、娘?」
「はい、第五部隊……の、ユリアスさま、ラリーさま……に」
騎士は一目でそれと知れる諜報や外務の赤、戦闘の青、法務や調達の白などのほかは、詳しくその所属を示すものをつけてはいない。よって、名前と所属部隊を正しく告げることができるのは、親族やもしくはそれなりの情報を与えられた特別な人間に限られていた。だが、時刻はすでに深夜、もう間もなく日付も変わろうという時間である。隊長づき補佐官を務めるユリアスを、はたして自分の一存で起こしてもいいものか、衛兵はしばし悩んだ。
彼らの迷いを吹き飛ばしたのは、少女の背後からぬっと鼻面を出してきた栗毛の馬の姿だった。それが赤騎士団第五部隊長カミューの愛馬フローラであることを察した騎士達の顔色が変わった。
「フ……フローラ!」
「カミュー様の……」
「すぐにお知らせしろ、カミュー様に何かあったらしい!」
「カミュー様が、どうなさったというのだ?」
背後から、凛とした、よく響く声がかけられ、騎士達は一斉に振り返って直立不動の姿勢を取った。
「ロ、ロレンツォ様!」
「カミュー様になにかあったとはどういうことだ?」
現れた赤騎士はロレンツォ・リカルド。赤騎士団第五部隊でカミューの補佐役、特に武官たちをとりまとめる任を負う練達の騎士である。通称はラリー。ただし、彼をこう呼べるのは彼の上級者か同僚に限られる。たとえば、今、通用門の外にいるような少女が彼の通称を知っているはずもない……のだが。
本来役職者は日勤から準夜勤への引き継ぎまでしか任に付かない。ただ、カミューが部隊長になってからは、深夜勤に変わった段階で正騎士の誰かしらが担当部署を一回りして引き上げる方法がとられていた。その夜は、ラリーが直接指揮をする小隊が深夜勤になっていたので、彼はまだ休んではいなかったのだ。
「は、見知らぬ若い娘が、フローラ……カミュー様のお馬と共にやってきておりまして」
「なに、フローラだと?」
「ユリアス様とラリー様に面会をと申しておるのですが……」
告げられて覗き窓から外をみたラリーは、暗がりの中に立つのが間違いなく女性、それもまだ幼さの残る年若い娘、さらに彼女の後ろに所在なげに佇立しているのが栗毛の雌馬、カミューの愛馬フローラに間違いないことを確認した。
間髪入れず、ラリーは鋭く命じた。
「門を開けろ、すぐにだ」
まだ少女と言ってもいい訪問者を迎え入れ、フローラをいつもの馬房に連れて行くよう命じてから、ラリーは少女に向き直った。
「あ、あの、お願いです、ユリアス様とラリー様に!」
「お嬢さん、私はロレンツォ・リカルド、ユリアス殿と同じ、第五部隊長カミュー様の補佐官を務める身です。何があったのか、お聞かせ願えますか――」
「カミュー様の!あぁ、どうか……」
なんとしても、という必死の表情にラリーは即座に心をきめた。
「誰か、ユリアス殿に連絡を……いや、私が行く!こちらの女性を第五部隊の応接室へお連れしろ」
「はっ」
部下の一人が応接室に火を入れるために走り去るのをみて、ラリーはまず少女の前に片膝をつき、冷え切ったその手をそっと握ってこうつげた。
「怪我をしておいでか、直ぐに手当の手配もさせましょう。いまからすぐ、ユリアス殿を呼んできます。少しだけご案内する部屋でお待ちください」
そして別の部下には、手当の手配となにか体の温まる飲み物の用意を命じて背を向けた。
各部隊の部隊長とその筆頭補佐官たちの私室が並ぶ廊下の入り口には、一日中警護の騎士が立つが、ラリーはもちろん自室と並んだユリアスの部屋への行き来は自由である。
僚友に与えられた部屋の扉を叩く。小さなノックの音に、即座に身を起こしたユリアスは自分の名をよばう低い声に、すぐそれが同僚ロレンツォのものと理解し、入室を促した。
「ラリー……いったい、何が?」
彼らの部隊長であるカミューは、このところ人事や予算に絡んでの事務仕事が多く、城泊まりが続いていた。目を離すと一晩中でも仕事をしてしまう若い上司の体調を考えて、今夜は早めに帰宅を促したのだったが、万が一緊急の事態がおこった時のために、ユリアスは自分が城の私室で休むことにして、カミューに遅れること一時間あまり、ようやく寝台へと入ったところだった。
「で……何があった?」
休んだばかりであるにもかかわらず、ユリアスは脱いであった騎士服に着替え終えるのももどかしげにラリーに問うた。
「カミュー様の使いとして、正門前に女性が訪ねてきた。まだ少女と言ってもいい年頃の娘だ」
ラリーは一切の前置きを省略し、結論だけを放り投げた。
「なに?」
ユリアスの目が細くなり、鋭い光を湛えた。
「そんな娘が、こんな夜半に、カミュー様の……使いだと?」
女性が一人歩きをする時間ではない。
「カミュー様がご自分の馬に乗せ、ここへ向かうようにその娘に依頼なさったようだ。ともかく、無駄話をしている暇はない。来てくれ」
ユリアスも、今は文官としての補佐役を務めるとはいえ、士官学校で厳しく鍛えられた生粋の騎士であり、ラリーとは気心の知れた間柄である。事態を察するのに時を要することはなかった。
「どこだ?」
「第五部隊の応接室に通してある。お前と俺とに話がある、他の人間に事情は言えないそうだ」
「分かった」
壁に掛けてあった愛剣を手に取るや、ユリアスはラリーを追って廊下へと駆けだした。
「お待たせして失礼!――私が……」
「ユリアス様でいらっしゃいますか?」
ユリアスが言い終わらぬ内に、部屋で心細げにしていた少女は弾かれるようにソファから立ち上がろうとして、挫いている足の痛みに顔を歪め、よろよろとよろめいた。既に手当は施され、細い足首は厚く包帯に包まれていたが、まだ満足に歩ける状態でないのは明らかだった。
ユリアスが素早く駆け寄ってその身体を支えると、少女は必死の表情で彼の騎士服に取りすがり哀訴の声を上げた。
「騎士様、どうぞ、どうぞお助け下さい!」
「あなた、は?」
「私はミアと申します。ルーヴェル修道会に請願者である主人について入りました!」
「あなたのご主人?」
「サヴォー家のご令嬢です。今朝、お父上様がご不例と伺い、院長さまのお許しを頂いてお見舞いに参りました。お会いになるのは久しぶりのこととてお話が長引き、日も暮れてしまったので急いでお屋敷を辞去したのですが……」
「そこで、事件に遭われた?」
「はい。暴漢に……主人がっ」
「どうなされた?」
「男達が主人をさらって……はい。私は突き飛ばされて足を痛めて……そこにカミュー様、が」
「カミュー隊長が?」
ユリアスとラリーは声をあげ、同時にがたりと椅子から立ち上がると顔を見合わせた。
「赤騎士団第五部隊長とお名乗りになりました。まだお若い方でしたが、私を馬に乗せ、城へ向かうように、と。城で赤騎士のラリー様とユリアス様に会うようにと仰せになって……あの、ラリー様は?」
ラリーが頷いた。
「そう、私だ。名前はロレンツォだが、カミュー様はラリーとお呼びになる」
「あぁ!よかった、どう、か――このお手紙を……」
震える手にしっかりと握りしめた布きれを差し出すミアに、二人は顔を見合わせる。
そのようなものがあるなら、なぜすぐに出さなかった……思わず舌打ちをしそうになるラリーを目顔で制止し、ユリアスがそれ受け取る。婦人への礼に則った冷静で優雅な振る舞いだったが、実際の所、ユリアスも布きれをひったくりたい気持ちを必死に自制してのことである。
「カミュー様の書跡<て>だ。間違いない」
「本当に?」
「お前の顔なら見忘れても構わんが、カミュー様の書跡<て>を見忘れて私の仕事は勤まらん」
憮然として押し黙るラリーを尻目に、ユリアスは布に書かれたカミューの字に目を走らせた。
『暴漢五人に連絡役らしい子供、徒歩。北東八番街区、酔いどれ鯨、目印白い布』
ラリーが顔をしかめた。
「どういう、意味だ?」
「使い走りを入れて六人いる、酔いどれ鯨とはあのあたりにある居酒屋の名かなにかだろう……ミア殿、ご主人とあなたはどこからきてどこへ向かっていたのです?」
「は、はい……城下東五番区のお屋敷を出まして……もう今日中に修道会の本館には戻りようもございませんでしたから、東外堀割沿いに城下北側にある分館へ向かう途中でした」
「地図だ」
ユリアスに命じられ、騎士の一人が卓子の上に公都の地図を広げる。ラリーが小さく唸った。
「サヴォー伯家のお屋敷なら、確かに城下東五番区だ。しかし、なぜ、こんな夜分に、女性お二人でそんなところを……城下東街区は確かに青騎士が定期巡回はしているが、昼間とはわけが違うとはご存じなかったのか」
「お許し下さいませ、騎士様。わたくしたちは外で泊まることは許されておりません。ですから……」
「ラリー、彼女を責めるのは筋違いだし、時間の無駄だぞ」
ユリアスが割って入った。
「その途中で襲われたのですね?」
「は、はい……男、たちがお嬢様に頭から袋のようなものを!」
ユリアスとラリーは顔を見合わせた。
彼らの上官カミューが借りている部屋は確かにその方向である。カミューが城を出てから、ミアの主人が襲われるまで時間が合わないが、カミューが遅い時間に家主に迷惑をかけることを嫌い、途中の居酒屋などで夜食を取った可能性は高い。
「失敗したな。あの方は気を遣う方だ、夜食を勧めてからお帰しするべきだった……」
「いや、ユリアス。カミュー様が食事を取られた上でご帰宅になっていれば、この事件が我らに知れるのは明日以降になってからだったはずだ。カミュー様がその場におられたことで、ミア殿のご主人を救いだす機会も得られるというものではないか」
ラリーの言葉に、ユリアスもまた納得したように頷いた。
「確かに……な。相手は六人。加えて攫われた女性が一人、か。カミュー様の剣技の冴えをもってしても、お一人では厳しかろう。かといって、この時間から部隊を動かすのは大事になりすぎる――騎士団長閣下も副長も、明朝までは戻られない」
二人は顔を見合わせた。
平時とはいえ、無断で所属の騎士たちを動かすことは軍規に抵触するおそれがある。だが、これから上位隊長に伺いをたてている余裕はない。
「何人必要だ、ラリー?」
「十人」
即答だった。ユリアスは無条件に同僚の判断を受け入れる。
「あぁ、それだけいれば十分に対処ができるはずだな。陣幕を一組運ばせよう。すぐに触れを出してくれ、ラリー。私も行く」
「おい、おまえ、は……!」
ユリアスは腰の剣を軽く叩き、めずらしくにこりと同僚に笑いかけた。
「カミュー様の伝言はラリー、君と私とに宛てられたものだ。文官の仕事に追いまくられてはいるが、それで腕を鈍らせるほど、私も墜ちてはいないよ。邪魔はしない」
「う……しかし、吾ら二人が二人して城を空けるとなると……」
ユリアスの腕を疑うつもりはなかったが、第五部隊の首席補佐官が共に城を空けることに、一瞬の迷いが生じる。
「考えている場合ではないだろう、時間がない。今も、カミュー様は暴漢どもを追っておられるのだ。我らが駆けつけることを信じて……な。違うか、ラリー」
確かにもはや深更、これから他に今以上の緊急事態が起こる可能性はほとんどなかった。ラリーは頷く。
「わかった。では俺とお前を入れて十騎、馬丁をかねて荷役は二人いればよかろう……伝令!」
扉脇に控えた騎士がラリーの指示を受けて走り出す。もう一人は伝声管に飛びつき、厩舎を呼び出して、大至急馬の支度をとの命令を伝えた。
「騎士様!」
「我らにお任せを、ミア殿」
今にも泣き出しそうに、大きな目を瞠って震えている少女に、ユリアスは強いて微笑を浮かべて見せた。
「必ず、あなたのご主人を無事に取り戻して参りましょう。我らがカミュー隊長と、公国騎士団をお信じ下さいますように」
Copyright(C)201x your name All rights reserved.
designed by flower&clover