騎士物語1

(2) 誘拐


「お代はここに置くよ」
何枚かの銅貨をテーブルに置き、カミューは満ち足りた気分で立ち上がった。
「ああ……この辺は物騒だ、さっさとねぐらにお帰りなさるが良い、剣士様」
「そうするよ。お休み」
無愛想な声が跳ね返ってくるのを背に、カミューは扉を押して外に出る。シチューで暖まった身体を冬の冷気が出迎え、思わず身震いする。待ちかねたように馬つなぎのフローラが鼻面を寄せてくるのを軽く撫でてやり、カミューは鞍上に身を躍らせた。
そのまま馬上で路地を一筋か二筋ほども通り過ぎたときだっただろう。
「ん?」
ふっと何か不穏な気配を感じて、カミューはとっさにフローラから飛び降り、手綱を引いて軒下の闇に身を潜めた。そのまま息を殺して様子を覗うこと、数分もした頃合い。カミューが気のせいかと思い始めた時である。

「おい……いま、蹄の音がしなかったか? まさか、青騎士の巡回なんてことはねぇよな」
「いや……何も聞こえなかったぜ。それにこの通りは巡回路からは外れてんだ。連中がこんな所まで入ってくるもんかよ」
フローラの鼻面を抑えて静かにさせ、ひそめたカミューの耳に粗野な話し声が微かに届いた。
「ったく、何でもかんでもびくびくしやがってよ。今度のヤマはでけぇんだ。びびってねぇで、しっかりやれ」
「しっ、声がでかい。話は中に入ってからだ」
星明かりと、遠くの通りから差し込んでくる明かりに透かして、二人の男の姿が浮かび上がるのに、カミューは眉を顰めた。服装こそこざっぱりしているが、いかにも悪事を重ねてきたらしいひげ面はとてもまともな人間には見えなかったのだ。
青騎士の巡回云々のセリフにさらに穏やかならざるものを感じて全身を緊張させるカミュー。その視線の先で、二人の男は路地を進んで『酔いどれ鯨』に入っていった。
「うん……?」
カミューはさらに神経をとぎすませ、気配を窺う。彼らのあと追うようにさらに二人が現れ、『酔いどれ鯨』の扉を潜る。少し間を置いて、がっしりとした長身の精悍な顔つきの男が、これは十二、三歳くらいのひょろりとした少年を連れてさきほどの店に入るのを、カミューは見届けた。
さらに十数分、その場で待ち、彼らのあとに続く客がないのを確認すると、カミューは愛馬の耳元で囁いた。
「フローラ、寒いけど、ここで待てるね? なに、長いことじゃない。すぐ戻ってくる」
ぶるっと小さく鳴いて、フローラは主人の意思を了解したことを伝えてくれた。
カミューは闇を縫うように走り、店の横を通る細い路地へと駆込んだ。鼻先をつままれても気づかないほどの闇の中、カミューは先ほどまで彼自身が席を占めていたテーブルの辺りに見当をつけ、店の薄い板壁に耳をつけた。
「……ほんとに来るんだろうな?」
いきなりの銅鑼声が響き、カミューは顔をしかめたが、なお一言も聞き漏らすまいと耳を澄ませる。そうとは気づかないらしい。店内の話し声は続いている。
「あぁ、あそこの女たちに外泊は許されてねぇ」
「護衛がいたらどうする?」
「いや、修道会に属するのは女だけだ。誰かついてきたらそれも一緒に、な。とにかく、今度のヤマはでけぇ。うまくいきゃあ、この先三、四年は遊んで暮らせるくらいの分け前は確実だ」
なにやら不穏な内容だった。
修道会というのは、特定の神ではなく、知識や心の持ちよう、他人への心遣いなど修身といえるものに人生を捧げるルーヴェル独自の生活集団であった。騎士団が男性のみの集まりとすれば、修道会は女性たちが一生を捧げるための場所である。入会を希望する女性は終身請願を立てた指導的立場のメンバーに従って、病人や貧者の心の癒し、食べものや着る物を作って分けるなどの作業にいそしんでいる。もちろん公会議にもその存在は認められ、毎年一定の額が公費から支給されるし、多くの賛同者からの寄付もある。

「まさか、修道会の女性を?」
たしかにあそこには、生活苦に陥ったものばかりでなく、貴族出身の女性請願者もいるとは聞く。そういった女性をさらって、身代金を狙う輩がいないとも限らないが……。危険を承知で、カミューは窓からそっと、男達を伺いみた。リーダー格とおぼしい、体の大きな精悍な顔つきの男の姿がわずかにかいま見え、その言葉に耳を傾け、相づちを打つのはいかにも悪いことをやりそうな男達が四人。それに従者なのか、召使いなのか、小柄な少年が一人。
「ここは、北東八区か――」

公都の北東街区の治安は良くない。この辺りはまだましな方だが、古い街道や、山間を通る間道なども入っていて、素性もあやしげな他国者や、公国でもくいつめたようなごろつきの数も少なくないのだ。
「管轄は青騎士団だけど、どうかな?」
いつか、そのうちということならば、明日にでも城へあがった時に、担当部署に注意を促しておけばいいことだけど……。
不意に店の扉が開き、若い男が飛び出してきた。カミューは一瞬身を固くし、隠しの中の短剣に手を伸ばした。
しかし、男はカミューには気づかなかったらしいし、少し離れた軒下の闇の中でカミューを待っているフローラにもまったく視線を走らせることはなかった。
まつほどもなく、男は息せき切って駆け戻ってくると、やはりカミューにもフローラにもまったく気づくことなく、店の中に駆け込んでいく。
「おかしら、来ました。もう、間もなくです」
「おう……来たか。出るぞ、準備はいいか?」
「おう!」
一斉に椅子が引かれる音と、おそらくは武器を改める音だろう、金属音が連なり、カミューは最悪の予想が当たってしまったことを察した。
「これは……今夜だな」
もし今夜これから、そういった襲撃があるとしたら、今から城へ連絡をいれたのでは間に合わない。カミューは、そっとみずからの愛剣の鞘を撫でた。故郷エルベテールで剣の手ほどきをしてくれた亡き父が、いずれ大人になったときに使うとよい、と名のある刀工に作らせてくれた、という細身の剣。十分に使い込み、手にも馴染んだ名剣。それと隠しに入れた、草原の短剣<ダガー>。これも名工の手になる逸品だが、これら二振りだけで六人を相手に戦いきれるか……さすがのカミューにも自信はない。

彼は城下の地図を思い浮かべた。修道会に属する女性がわざわざ治安の悪い北東の街区を通るはずはない。このあたりから、ルーヴェル修道会の宿泊所へ向かうなら、やや南側、東街区の大通りから、東外堀割沿いに北東街区を回り込む道筋を取るのが普通のはずだった。
男たちが西に向けて路地の奥、闇の中に姿を消すのを見届け、カミューはフローラのもとへ駆け戻った。ちょっと不満気に小さく鼻を鳴らす栗毛の牝馬の鼻面を優しく撫でてやる。
「いい子だね、フローラ。ちょっとごたごたするかもしれないけど、お前なら大丈夫だろ?しばらくここで待っておいで」
そう言って、持っていた革袋を鞍の後ろにくくりつけると、小さな砂糖菓子を一切れ、愛馬の口に投げてやった。街の中はほとんどすべてが石畳になっている。そこを馬を連れて進めば、蹄の音が男達の警戒を誘う可能性を考えたのだ。
さて、奴らがもし相談していたようなことを実行するとしたら、どの方角だろう。
「――!」
迷っている暇はなかった。少し離れた路地の方で、きゃあっという悲鳴と物がぶつかる音、それに何人かの足音が響いた。さては!カミューはもはや音に構ってはいられないと手綱を取り、身軽く鞍上に身を翻すと音のした方へとフローラを走らせた。
一本目の路地にそれらしい人影はなく、二本目、三本目と進んだその先に、うずくまる人影をみつけ、フローラから飛び降りる。鞍袋から紙燭を取り出し、燧石を踵に叩きつけて明かりを灯した。
「あぁ、どうか、どうかお助け下さい!お嬢様がっ、ご主人さま、が……」
あるかなきかの紙燭の光の中、すがりつくように泣き声をあげたのは、まだ十代はじめと見える少女であった。
「どうした、なにがあった?」
「どうかお助け、を!私の主人が、拐<かどわか>かされました!」
「主人?」
「はい!」
少女の告げた家名はカミューを軽く驚かせた。公都でもよく知られた大貴族である。
「で、相手は?」
いきなり暗がりから出てきた男達が目の前に立ちふさがり、主を守ろうとした少女を突き飛ばしたのだという。五人くらいいて、少女の主人に布袋をかぶせ、担いで風のように走り去ったと、彼女は狂ったように泣きながらカミューに訴える。
「五人か……もう一人か二人いたような気がしたが……それで彼らがどの方角を指して行ったか、わかるかい?」
泣きじゃくりながらも、少女は東の方角を指さした。
「間違いないね?」
「追いかけようとしたんです。でも、足が利かなくなって」
意外にしっかりした口調で少女は言い切る。まだ少女というより子供に近い年頃だが、中々に気丈な娘らしい、とカミューは思った。
「わかった。立てるかい?」
さきほどから立ち上がろうとしてはよろけて座り込んでしまう少女は、どうやら突き飛ばされて足を捻ったようだった。カミューは手を貸し、あたりを見回す。時刻がらすでに人の気配はまるでない。
さらにカミューは石畳の路面に耳をつけてみる。馬蹄の轟きはなく、少なくとも賊どもが馬を駆って逃走を図っていることはなさそうだ。カミューはそう判断した。
「どうかっお願いします!お嬢様をっ」
「わかったから。落ち着いて。君は馬には乗れるかな?」
「馬は……乗せてもらったことはありますけど、一人では……」
少女は不安気にカミューを見上げた。
「大丈夫、よく慣れた優しい子だから……フローラ!」
短く指笛を吹く。
穏やかな蹄の音とともにフローラの栗毛が紙燭の明かりに浮かび上がった。大きな黒い目が怪訝そうにカミューと少女の姿を見つめる。
カミューは鞍袋から絹の手布と簡易なペンを取り出すと、相手の数と現在地のみを書き記した。
『暴漢五人に連絡役らしい子供。徒歩、北東八番街区、酔いどれ鯨、目印白い布』
端的に場所だけを記したのは、この先暴漢たちが向かう方向がわからないから。現在地が明確であれば、彼の信頼する部下達は必ずカミューの痕跡を探し、彼を見つけるはずとの信頼あってのことである。
さらにもう一枚、布の端を歯でくいやぶり、何本かの白い布を準備する。
「大丈夫だ、さ、掴まって」
そのまま少女に手を貸し、馬上に押し上げると、先ほどのメモを握らせた。
「このまましっかり馬の首に掴まっておいで。動き始めたら勝手に城へ行ってくれるから」
「し、城?お城って……騎士団、の?」
少女はさすがに怯えたように目を瞠った。安心させるためにカミューは微笑みかける。
「そう、私は第五部隊長カミュー。城についたら、門衛に私の名を告げて、赤騎士団のユリアスとラリーを呼んでもらうんだ。彼らが来たら、このメモを渡すんだよ、いいね」
「ユリアス、さまと、ラリー…さま?」
「うん、私の補佐官たちだよ。証拠と言われたら私の名前とこの馬<こ>を見せればわかるはず。この馬<こ>の名前はフローラ」
「は、はい、カ、ミュー様……」
「彼らにメモを見せたら、私は東へ向かったと伝えてくれ」
そう告げるとカミューは、愛馬フローラの手綱の先をつかみ、短く括ってたてがみを撫でた。手綱を括るのは、城の馬房へ収まる時の合図であった。
「頼んだよ、フローラ。急ぎで、城へ向かっておくれ。でも彼女を決して落とさないようにね」
ぽんぽんと軽く尻を叩いてやると、栗毛の牝馬はもう一度、不思議そうにカミューを振り返ってのち、分かったとでもいうように軽く首を振って早足で歩き出した。

「さて、と……」
慣れない乗り手を連れて馬が城へたどりつくまでには半時間、ラリーとユリアスにすぐ連絡が行ったとしても、この場所まで部下たちが駆けつけるまでは二時間はかかるだろう。男たちの目的にもよるが、もし遊び半分の暴行目的なら、たとえ捻挫をしていたとしても一人よりは二人、それになにも修道会に所属する貴族の令嬢を狙う必要はない……。とすると、身代金か、それとも人身売買が目的か。
カミューは地形図を思い浮かべた。この地区自体は青騎士団の管轄だったが、ルーヴェル全域の地図はほとんど頭に入っている。どの方角に誰の所領があるか、公会議が治める公地と個人の所有地がどうなっているか、なども。
「個人の領地よりは公地……だろうな」
なにせ範囲が広い。貴族や騎士領主たちは領民の生活の安全に責任を持たねばならず、ゆえに村々には自警団のようなものを配置して、管理を徹底させている。カミューの母の再婚相手、義理の父となったマーロゥ伯爵の領地も同様だった。ほんの数度訪れただけではあったが、街道沿いには張り番の小屋があり、領内に入るものは一応の誰何を受けていた。
もっとも、隣接地からこっそり入り込もうとすれば壁があるわけではなし、簡単ではあるのだが、個人の所領でおきた事件では、その領主の判断で極刑までが許される。――となればやはり……。
「たしか東の旧街道沿いの森があった、あそこかな」

賊どもがどこかに隠しておいた馬に乗り換え、一気に逃走を図るのではないか。カミューの胸を一抹の懸念が走りすぎたが、すぐにそれはないと打ち消した。うら寂れているとは言え、このあたりも公都の一画だ。大きな荷物を載せた馬を飛ばすあやしげな風体の連中があれば、必ず見とがめられる。
「今夜はどこかに隠れて夜を明かし、朝になってから旅人を装う、か?もしくはどこかで取引相手が来るのを待つ……、そんなところかな」
勘が当たって、先を行くそれらしき男たちの一団を夜目の利くぎりぎりの距離に捕らえたのは、それから半時間も経たぬうちだった。公都主要部から離れた、草原と森の続く一画、旧東街道と呼ばれる街道沿いに広がる森。そこは無断で立ち入ったとしても、狩猟をしたり、棲みついたりしない限りはとがめ立てをされることのない、公地であった。

「どこまで行くつもりかな――」
男達は袋をかぶせた女性の体を首にかけるようにして交互に担ぎながらすでに一時間近く歩き続けている。、
あまり遠いと彼女にも負担になる……、ならばいっそ途中で切ってかかるほうがいいのかもしれないが――。
迷いながらもカミューはひたすら後を追った。
間違いなく自分がここを通ったという証左に、街を出るところの建物の外柵に一つ手の中の白布を結びつける。次は突き固められた街道の途中では枯れた立木に布を結んだ。街道を外れ、草むらへ曲がったところでは、背の高いパンパーグラスに行き先を示すよう、二本の茎を選んで布を結んだ。

さらに進んで、誘拐された令嬢らしき、布に包まれた荷物を肩に担いだ男たちが森の中に吸い込まれていくのを確認し、カミューは一気に距離を詰めた。森の中で見失っては、いかに夜目の利く彼であっても、もう一度見出すのはほとんど不可能だったからだ。
「あ……」
カミューは足を止め、素早くその場に身を伏せる。星明かりの下、真っ黒な輪郭だけを見せていた森の中に不意に明かりがともり、ゆらゆらと揺れ始めるのが見えたのだ。
「あそこ、か――」
ついに人さらいたちのアジトらしきものを突き止めて、カミューは足を速めていった。
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