騎士物語2

(1) 序章


大きな湖の湖畔に聳えるルーヴェル騎士団の主城、アイタバッシュ。
重厚な石積みに覆われ、難攻不落を謳われる巨城の中央にある演習場を囲む回廊を、一人の青年騎士が足早に歩いていた。
美貌だった。柔らかで華やかな、女性的な美しさではない。青く透き通った射貫くような目と、銀糸を思わせる鮮やかな銀白の髪は、住民の大半が黒髪、あるいは濃い褐色の髪を戴く、このルーヴェルの地では異相と言ってもいい。だが、硬質に整った容貌は、その透き通るような肌の白さと相俟って、見る者に違和感よりも魅惑をのみ覚えさせるのだった。ルーヴェル騎士団青騎士第一部隊先任中隊長レオニダス。それが、この秀麗にして厳しい面立ちの若者の名前である。

革の長靴の踵が石畳を打つ乾いた音が、高く聳える回廊の天井に跳ね返り、弾むように響き渡る。回廊を行き交っていた騎士たちが、足音に気づいて姿勢を正し、上位者に対する礼を送る。騎士たちの視線には、彼の位階に対する敬意は無論のこと、この若き騎士個人に対する無条件の畏敬と尊崇が込められていた。
答礼を返しつつ、レオニダスの表情には緊張の色が濃い。

「青騎士第一部隊先任中隊長レオニダス、明朝、九刻に白大理石の間に出頭せよ」
昨夜、執務も終了する間際に届けられた、それが命令だった。
アイタバッシュ城には[大理石の間]と呼ばれる部屋が二つある。ルーヴェル騎士団を構成する白、赤、青の各騎士団の首脳が騎士団としての意思決定を行う会議の場でもある。白大理石の間、通称[白の間]と呼ばれる一室は最も格式が高く、レオニダスですらまだ一度も足を踏み入れたことはない。
「どうも組織の見直しがあるらしい」
どこから聞きつけたのか、そんな情報をレオニダスの耳に吹き込んだのは、同じく第一部隊の中隊長を務めるヴァレンタイン……通称ヴァルだった。
「よくは分からんが、部隊を一つ増やすらしい。それがらみじゃないのか?」
「部隊を……か」
ルーヴェル騎士団には法務・調達を担当する白騎士団と、外務・儀仗を司る赤騎士団がそれぞれ百人ずつ五部隊あり、実戦を主に扱う青騎士団のみが十の部隊を持ち、各部隊は部隊長とその配下の、各百人を纏める中隊長二人をもって構成されていた。つまり、白・赤の隊長と青の中隊長は扱う部下の人数においては同列であり、待遇面でもほぼ同等といえる。
「部隊を増やすなら、もっと前から動きがありそうなものだが……。隊の増設はチェスの駒を動かすのとはわけが違うぞ、ヴァル」
いずれも長い年月の鍛錬を経て文字通りに[一騎当千]と呼ばれるに相応しいだけの技倆と、知識、そして人格を兼ね備えた人物でなければ正騎士の列には加われない。一部隊、あるいは一中隊百騎に正騎士は三十名ほど。部隊とは決して一朝一夕に増員できるというものではないのだ。
「最近になって従騎士の昇格者を増やしたとも、他団の組織が動いたとも聞いてない」
レオニダスの訝しげな視線に、ヴァレンタインは鳶色の瞳にからかうような笑いを浮かべて応じた。
「まあ、与太かも知れないが、何らかの形で組織が変わるって噂があるのは確かだ。ま、あなたに限っては悪い話があるわけはない、私はそう信じますがね」
妙にしゃちこばった敬語で話を切ると、ヴァルはさっと右手をこめかみに当てる小粋な敬礼を残して踵を返す。レオニダスはその揶揄するような態度に、憮然として信頼する僚友の背を見送ったのだ。

[白の間]の重厚な扉を前にレオニダスは大きく息をついた。扉の両側に立っていた衛士が彼を認めて一歩を退き、軽いノックとともに扉を開ける。
「青騎士団第一部隊、先任中隊長レオニダス、ご命令により出頭いたしました」
レオニダスの朗々とした声が室内に響き、巨大な会議卓に居並んでいた一同の視線が一斉に彼を向いた。
「ごくろう」
応じた声は、二千人の青騎士を纏める青騎士団長である。会議卓には彼の副長、そして現在レオニダスの直属上官である青騎士団第一部隊長の姿が並んでいた。それは当然として、赤騎士団副長を務めるコーレルの同席がレオニダスの困惑を誘った。
「さて、儀礼に時を費やす必要もなかろう」
重々しく青騎士団長が口を開き、レオニダスは直立不動の姿勢を取ってその言葉を待ち受けた。ちら、と昨夜のヴァルの囁きが脳裏を過ぎった。
「貴官の青騎士団第一部隊、先任中隊長の職を解く」
「は?」
愕然としてレオニダスは青い目を見開いた。各部隊に二人ずついる中隊長は、それぞれが百人からを纏めるもので、最精鋭である第一部隊の先任中隊長ともなれば、次期隊長職への最短距離にいる立場である。レオニダスもそれなりのプライドをもって職務に当たってきたし、これといった失策を犯した覚えもない。
「今般新たに特務部門を置くことが決まった」
彼の驚きを予想していたのか、青騎士団長は淡々と言葉を継いだ。
「その部隊の部隊長に貴官を推す」
「は……」
レオニダスは一瞬言葉を失った。

彼はいまだ騎士として奉職し十年にもならない、二十二才の若年である。いかに騎士の世界が年齢や経歴とは関係なく、実力がすべてを決めるとしても、特殊任務を請け負うのだろう新設部隊の部隊長を? 確かにいま現在も第一部隊の中隊長として任に当たってはいるが……、そちらにしても 就任してからもまだ一年ほどしか経ってはいない。
「私、がですか?」
「そう聞こえなかったか、レオニダス。ここには我々の他、貴官しかおらぬ。他の誰に言っているように聞こえたのかな」
部下の緊張を見てとったのか、副長がからかうように口にした。
「あ、い、いえ、失礼いたしました!」
「よい。こたびの特務部隊の編成は、各団団長、及び副長とで協議した結果である。いまだ正式な辞令ではないが、まずは心の準備も必要だろうからな」
「はい」
騎士の礼を取り、命令を拝受する旨の意思を示したレオニダスに、団長たちは微笑を交わし合ったようだった。

「特務部隊の任務と組織上の位置づけを話しておく」
青騎士団長が言葉を続ける。
「組織上、この部隊はコーレル殿の諜報部隊に所属する」
「はい――」
自分は青騎士だが、それでは赤騎士団への転任になるのか。
「貴官の身分は青騎士のままだ」
レオニダスの疑問を読み取ったコーレルが口を挟んだ。
「今回の部隊は私が特に願って、青騎士団から人員を譲って頂いた。十の部隊それぞれから十名弱。当面、所属騎士団は変更せず、それが必要となったところで見直す予定だ」
……ということは百名、いまと同じだけの人数になるわけか、とレオニダスは合点した。
「新設部隊の責務だが……」
コーレルの説明がレオニダスの腑に落ちるのを確認し、青騎士団長は言葉を続けた。
「このところ、モンターニュによる大きな規模の国境侵犯は間遠になっている」
北方の恐るべき敵国……レオニダスにとっては、単純な[敵国]という以上の響きを、その言葉は伴っていたが……の名を騎士団長は口にした。
「これはモンターニュの脅威が低くなったことを意味しない。むしろ、直接の戦いによらぬ戦いはより激しく、回数も増えてきているのだ。新たな部隊の戦場はそうした諜報の場だ」
「諜報……でありますか?」
「そう。もちろんこれまでも、コーレル殿が担当される諜報部は存在した。だが調査の過程で実行力を伴う部隊が必要になることは多い。今までは必要に応じて赤騎士団の中から小隊単位で動かしてきたが、専門の機動部隊があるべきではないか、という話が持ち上がった」
「はい」
「ターゲットは主に貴族、騎士、上級の公民ら、我が公国の進路を定めるべき責務を負うた人々となる、分かるな」
レオニダスの額に微かな縦皺が刻まれるのを見て、騎士団長はコーレルに視線を送り、かるく顎を引く。頷き、コーレルはレオニダスに向き直った。
「何もモンターニュに限らぬ。カルモニアもしかり、南の都市同盟諸国すら場合によっては敵となるかも知れない。いや、外敵によってばかりではない。我が支配層の人々が自ら道を踏み外した時、公国に与える害毒は戦いによる被害に劣るものではないということだ。そうした背反は、公的な裁きの場に載せ、断罪するまでに長い時を費やすことで、かえって災禍を広げてしまうことすらある」
要するに、ルーヴェル公国の支配層の人々を不断に監視し、外敵からの誘惑や謀略、あるいは自らの腐敗や涜<とく>職<しょく>により、公国に被害をもたらすような行為を取り締まる。レオニダスは自らの新たな任務をそう理解した。

「公国に対する背反者への断罪は、時により貴官の判断に委ねられる」
レオニダスを驚かせたのはコーレルのその言葉だった。
「それは……」
「そうだ。法的な手続きは無論のこと、騎士団長や私の裁可を得る時間がない場合もあり得よう。そうした場合、貴官は貴官の判断において背反者を断罪する……つまりは斬ることも許される」
「そ……そんな……」
さすがにレオニダスは息を呑んだ。途方もない権限であり、それに伴うであろう責任の重さを彼は察したのだ。
「お前ならばできる、と我々は判断した。ゆえに貴官にこの職務を与えることで、我々の考えは一致したのだ。――改めて尋ねるが、任を受けるか?」
僅かな沈黙を先行させ、顔を上げたとき、レオニダスの眉目からは迷いの色は消えていた。
「我が全身と全霊のすべてを懸けて、拝命いたします」
「よろしい」

青騎士団長が副長に向かって軽く顎をしゃくった。頷き、副長が手許の書類挟みを取り上げる。
「レオニダス、特務部隊長としての貴官の立場は騎士隊長格だ。所属する騎士については既におおよその選任が終わっているが、その後の部隊内人事については貴官に一任する。補佐として中隊長一名、文官を所定の数だけ置く必要があるが、この人選も貴官に委ねられる。よろしいか?」
「は……」
「今後の直属上官はコーレル殿となる。次の休み明けに辞令が発令され、部隊が正式に発足する。それまでに中隊長ほかの選任を終え、私に報告するように」
「承知いたしました」
「正式な発足はまだ少し先だが、本件はすでに三騎士団のトップが合議の末に決定したことだ。本日、ただいまから引き継ぎ準備にかかりたまえ。所属予定の騎士たちにも、本日の夕刻には集合を命じてある」
副長から差し出された書類の束をレオニダスは受け取った。百に近い騎士の名簿とアイタバッシュ城内における部隊の所在、レオニダス自身の執務室の配置などが細かく記載されたそれを、彼は一礼して小脇に挟んだ。
「お前を手放すのは残念なのだがな――」
厳格な青騎士団長の表情が、初めて笑顔に変わった。
「コーレル殿からのたっての要請あってのことだ。今後は新しい職務にしっかり励むよう……」
「恐縮です、閣下。必ずやご期待に添うよう精励いたします」
直属上司からのねぎらいの言葉に、レオニダスは深い感慨をもって礼をとった。
「うむ……コーレル殿、彼は我が騎士団の秘蔵っ子、よろしくお願いいたしますぞ」
「無論」
コーレルも微笑で応じた。
「厳しい任務となりましょうが、彼ならやってくれる。そう信じております」

+++

新しく指定された西棟の執務室に足を運び、ここが今日からは自分の居場所かと感慨深くあたりを見回していたレオニダスの耳に、ノックの音が飛び込んできた。
「入るぞ」
何事かと顔を上げた視線の先で、彼の応答も待たずに扉が開くと一人の青騎士が入ってきた。抱えてきた大きな雑嚢を床に置くと、彼は長靴の踵を打ち合わせて敬礼する。
「青騎士ヴァレンタイン、出頭いたしました。現任務は青騎士団・第一部隊第二中隊長であります」
「ヴァル……いや、ヴァレンタイン……一体、何をしにここへ……」
唖然としてレオニダスは声をかけた。
「俺の机はどこになるのかな、レオン」
堅苦しい公式の言葉遣いからいきなり普段の口調に変わって、ヴァレンタインは人好きのする微笑に表情を崩した。
「机……だと?」
「ああ、中隊長用の机だ。いまと同じで、百人規模なら中隊長には専用の部屋はないかわりに、部隊長執務室に席を与えられる。騎士団の規定だろう。忘れたのか」
「だから……何を言いたい?」
「うん?」
ヴァレンタインはちょっと困ったように唸った。
レオニダスですら視線を上げねばならないほどの長身と、鋼の束のように引き締まった筋肉質の体躯の上で、濃い茶系の巻き毛を戴き、鳶色の目を煌めかした顔がある。レオニダスのような正統派美男子ではないが、港街区の花街では大いに人気のある男性的な顔立ちの青年だった。年齢はレオニダスよりも二、三歳上だが、青騎士第一部隊では年下の彼を上位者として扱い、一言の文句も口にしたことはない。それどころか、戦場だけでなく私的な面でも、彼は何度もヴァレンタインに助けられている。無二の僚友と言ってよかった。

「分かってるさ。分かってるから、こうしてやってきた。ええと、青騎士ヴァレンタイン、レオニダス殿の新設部隊中隊長を志願いたします!」
「な……、勝手なことを!青騎士団長閣下にも無断だろう?」
「いや」
ヴァレンタインはにっと笑って首を振った。どうやらレオニダスの転任の内示が伝えられてすぐ、行動を起こしたようだ。
「ここへ来る旨は副長殿には届けを出してきた。本気か、と訊かれたから本気だと答えてきたさ」
「副長殿はなんと? まさか、それで転任が認められたわけはないだろう?」
「お前が承知なら、俺以上の適任者はあるまいと言われたんでな。当然レオニダス殿もご承知です、と答えておいた」
青騎士団としてはレオニダスの転任だけでも痛いのに、この上ヴァレンタインまでを転出させるとなると、その穴を埋めるのは至難である。レオニダスが抜けた以上、青騎士第一部隊の先任中隊長の地位はヴァレンタインの就くところとなる。青騎士最精鋭の呼び声高い第一部隊の先任中隊長と言えば、いずれ間違いなく部隊長に昇進し、やがては騎士団副長から団長への道すら開かれているというのが騎士団での人事の常道だった。
後任人事をどうするか……渋面の青騎士団副長を尻目に、さっさと荷物をまとめたヴァレンタインは、その足でレオニダスの新たな執務室へやってきたというわけである。

レオニダスはため息をついた。
確かに、この任務において中隊長には息のぴったり合った人物が必須になる。その意味でヴァレンタインほどの適任者は思いつかなかった。
「どうせ、お前のことだ。俺の将来だの何だのを気にして指名するわけにはいかない、なんて思ってたんだろ」
図星だった。ヴァレンタインの立場や、これからの経歴を考えれば、簡単に彼を指名するのには大きなためらいを感じずにはいられなかった。ヴァレンタインはいかにも彼らしいやり方で、レオニダスのそんな迷いを一掃してくれたというわけだ。
あるいは最初から、騎士団長も副長も、レオニダスが中隊長候補者の筆頭に彼の名を出してくるのは察していたかも知れない。
「理由を――聞かせてくれるかな」
「あ?」
「せっかくの第一部隊先任中隊長への道を棒に振ってまで、志願する理由だ」
あえて堅い口調でレオンは問うた。
「それはだな、俺はお前と一緒の部隊にいるのが楽しいから、さ」
「楽しいから……だと? 何を言っているのか分かってるのか、ヴァル?」
「分かっている。俺では不足か、レオン。それに、別に俺は騎士団での地位や将来を棒に振ったつもりはないぞ。お前ならはどんな任務でも立派にやってのけるだろうし――、俺以上にお前を補佐できる人間がいるとも思えない。つまり、俺にしてもお前と任を共にすることで、さらに上へ行く機会も掴めることになる」
「――……」
「どうだ?計算高いだろ?」
「何が計算高いんだ、この馬鹿が」
言いながら、レオニダスは目頭の熱さを感じて、思わず視線を落とした。

その肩を、ヴァレンタインは軽く右手で叩き、そして居住まいを正した。
「重ねて申告します、レオニダス部隊長殿。青騎士ヴァレンタイン、レオニダス殿の所属部隊中隊長職を希望します。ご承認いただけるでありましょうか」
すっと背を伸ばし、レオニダスの前に片膝をついて頭を垂れたヴァレンタインに、立ち上がったレオニダスは自身の佩刀を抜き取った。十分に手入れをされた刀身を、軽く彼の右肩にあてる。
「承認する。貴官の執務机はそこだ。明日の朝までに職務に就けるよう、準備を整えよ…」
「はっ!」
ヴァレンタインは立ち上がり、形のよい敬礼をすると新しく上官となった僚友の整った顔を眺めやった。いまだ職務の詳細は公表されてはいなかったが、騎士団の長い歴史の中に突然できた新設部隊ともなれば、その形を整え、軌道に乗せるのは並大抵の苦労ではすまないはずだ。それがわかったからこそ、彼はこうしてやってきた。
「思うままに指示を出せ。おかしいと思った時は俺も遠慮なく言わせてもらうから」
「――ありがとう、ヴァル」
「あぁ、どうせなら楽しもうゼ」
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