騎士物語2
(3)厚情と困惑と
昼食に招かれた時の受け答えが、どうやら琴線にふれたようで、それ以降白騎士団第二部隊長マリエルは、ことあるごとに従者を遣わしては、夕食や舞台鑑賞、夜会へとカミューを呼びだした。どうやら彼は街一番と言われるオペラハウスに、専用のボックスシートを持ち、気に入った舞台がかかれば時間の許す限り通っているようだった。他にも美術鑑賞や、詩の朗読会など、さまざまな種類の芸術活動に足を運ぶという。
もちろんそれで仕事をないがしろにしていては問題だが、白騎士団は実戦に出ることは少なく、その分鍛錬や剣技指導の時間が少ない。よって仕事に集中できれば比較的時間の自由がききやすい立場であった。
郊外から届いた、木々が色づいたとの便りが、やがて湖に近く比較的暖かいアイタバッシュの城に届き、人々を喜ばせたが、忙しく日を送る騎士たちに余暇を楽しむゆとりはない。あっという間に日は過ぎて、街には木枯らしが吹き始める季節がやってきた。
午前いっぱいの予定で閲兵の模擬訓練を監督していたカミューだったが、新しく入った騎士の足並みが揃わず演習は長引いた。城に戻った時にはすでに昼餐の予定時刻を大幅に過ぎていた。
「お疲れになりましたでしょう」
雨模様の中での訓練に、上官の防水コートを受け取り、自分のものと一緒に従卒にあずけ、部屋へとついてきたラリーである。執務室の扉を開けようと上官の先に立って歩みを進めていた彼は、部屋の前で待つ若い従者に気付き用を問う。
「どうかしたか?カミュー隊長になにか?」
問われてまだ十代半ばといった若者は、姿勢を正し、特務隊長レオニダス様からのご伝言です、と復命する。
「レオニダス…殿から?」
それを聞いたカミューが一瞬だけ訝しげな表情になって足を止めた。久しぶりに時間が空くから、よかったら昼食でも一緒にと誘われてはいた。ただ演習が入っていることから、間に合えば伺うよ、とだけ伝えてあったのだが……。すでに時刻は二時を回っている。
ためらう様子のカミューには気付かず、従者の少年は携えてきた伝言をはっきりした声で口にした。
「レオニダス隊長もお仕事が立て込んでおられた故、可能ならば夕食を私室のほうでご一緒できれば、とのことです」
「部屋?」
「はい。お仕事が終わられたら、気楽なお姿で――とのことで」
従卒の少年の言葉にラリーが相好を崩す。
「それはようございますな。今日はことさらに冷え込みますし、書類の決裁が終わられたら早めに湯を使われておでかけになるとよろしいかと」
「そう、だね。では隊長殿にそうさせていただくから、とお伝えしてくれ。ご苦労だった」
カミューの柔らかな謝辞に、一瞬呆然とした少年は、慌てて最敬礼をして去って行った。
+++
執務室をあけていた間に届けられた決裁書類に目を通しながら、雨に濡れてしっとりとした髪をタオルで拭う。交易商人の行き来が多い故国エルベテールでは子供たちでも数カ国語を自在に使いこなすものも多いが、カミューはすでにここ、ルーヴェルに来て十年近くが過ぎているため、ルーヴェル公用語が母国語と言っても過言ではない。細かく記入された数字や人名、時系列の行動計画を斜め読みで眺めては、裁可、再考、留保の束に分けていく。
霧雨の中で重い防水コートを纏っての演習は、体には疲弊をもたらしたが、そのあと告げられた親友からの夜食への招待がカミューの心と体をほっこりと温めていた。新設された特務部隊を任されたこと、様々な部署から集められた人材たちで構成されたそれを役に立つかたちで運用できるようにするためにも、ここしばらくのレオニダスは忙しく、カミューとも城内ですれ違うほかはろくに顔を合わせてすらいなかった。
そのしばらくの間に、カミューはといえば、何度となく白騎士隊長マリエルから食事の招待や、舞台鑑賞への誘い、さらには歓談と週に二〜三回といったペースで呼び出され、最初のうちはともかく、最近ではそれが苦痛でたまらなくなって来ていた。気の置けない友人との会話ならばともかく、位階も上、年齢では遙かに年上のマリエルは、どういうわけかカミューへの親愛を隠そうとしない。男色趣味があるとは聞いたこともないが、なんとはなしに纏わりつくような、粘る視線がカミューにはつらかった。
招待が三日続いた時はさすがに、カミューに届く前に、筆頭補佐官ユリアスが、無理矢理予定を入れ、会議を設定したりして上手に謝絶の手配をしたが……そうすると今度はその翌日、空いている日を教えるようにと連絡がくる。人当たりに関しては十代とは思えぬ老練さをもって、相手を不快にさせないように立ち回ることができるカミューだったが、さすがにここまで続くと、疲弊も激しかった。体全体をなにか粘膜のようなもので絡め取られるような、徐々に身動きが取れなくなる息苦しさのような感覚とでも言えばいいのか――。
長いつきあいで、心を許した友であるレオニダス……レオンと、私室で気楽な軽食をつまみながら話ができるとしたら、それは多分とてもよい気分転換になるだろうと、心躍らせて決裁に励むカミューであった。
やがて、その日のうちに済ませる必要があった書類仕事を終え、ユリアスの手元にも緊急の案件が届いていないことを確認したカミューは、少し早めだがこれで……と断って赤騎士団の執務階を離れ、私室へと階段をあがっていった。
部屋に用意された熱い湯につかり、冷えた髪にもたっぷりの湯をかけて洗い流し、さっぱりしてから私服に着替える。位階者たちに与えられる居住空間は各棟の上のほうに集中しており、渡り廊下で繋がれていた。もっとも、コーレル副長の支配下で特務についた時点で、レオニダスは青騎士のまま、私室も赤騎士団が使う西棟の一角に移していたため、部屋を訪ねるのにさほどの距離があるわけでもない。
友人の新しい部屋は、カミューのものと同じく寝室と付随する浴室の他に、居間の一角にちょっとした仕事や食事もできるテーブルのスペースが備え付けられている。その上に整えられた簡素だが心のこもった夕食は、日々呼び出されては振る舞われるどんな有名シェフのコース料理よりも、カミューにはおいしく思われた。
互いの近況を話しあい、新しくできた特務部隊を機能させるための訓練や演習の話を色々と聞きながらカミューは、外で自部隊の騎士たちと一緒に馬を走らせることができるレオンの境遇を羨ましく思った。書類仕事や儀仗訓練を決して嫌っているわけではなかったが、彼が子供時代を過ごした草原の国・エルベテールでは、一度出かけたら二日、三日と野宿を繰り返して延々と続く草原を馬で走ることも多く、それは厳しいけれど心躍るひとときだったのだ。
「いいなぁ、レオン……」
「ん?」
「私もそういう方がいい」
「なんの話だ?」
部屋に来た時から、妙に疲れた表情でぼんやりとしているカミューが気になっていたレオニダスが訊ねると、仕事はともかく、最近続けざまに招待があって……との答えが返る。自分はそういう社交行事より、外に出たり剣の稽古をするほうが好きなんだ、と。
「決して悪い方ではないのだけど」
「誰だって?」
「ん?白騎士団のマリエル様って……」
「あぁ、この前の火災の時の指揮官か」
即座に返った言葉にカミューは一瞬面食らったように顔をあげた。
「レオン、なんで知って……」
「諜報というのは面白いな。別に聞き耳を立てているわけでなくても、あれこれ色々な噂が流れこんでくる。コーレル様が特務部隊の創設を求められたはずだ」
あぁ、そちらの関係か、とカミューは合点した。
「いい方なんだよ。騎士としての知識だけじゃなくて、歴史や芸術関係にも造詣が深くて、決してこちらの負担にならないように、さりげなく教えてくださる」
でも、最初は週末だけだったものが、週の半ばにも一度、と回数が増えてくるとさすがに気疲れしてさ、とカミューはため息をついた。
「領内視察とか演習――私もそういうほうがいい。今度合同演習とか企画してくれないかな」
「珍しく弱気じゃないか」
「うん……まぁ」
「わかった。次に俺が演習計画をたてる時がきたら、赤騎士団の希望部隊も誘うことにするさ」
「ほんと?」
「あぁ、約束しよう」
その言葉に、それまでの憂鬱はどこへやら、にこりと微笑んで食事を再開したカミューにレオニダスはほっと安堵の息をついた。ただのかわいい弟分だったはずの若者が、あの誘拐を未然に防いで重傷を負った事件以来、どうにも別の意味で気にかかって仕方ない。
『俺はいったいどうしたっていうんだ?カミューの言葉や表情がこんなに気になるなんて――』
二十歳を過ぎ、またその若さに似合わぬ高い地位を与えられたとはいえ、そうした心の機微にはまだまだ疎いレオニダスだった。
+++
「マリエル様――」
「どうしたね、口に合わないか?」
「いえ、あの……」
しばらくどう話をすすめようかと考えていたカミューだったが、やがて意を決したようにカトラリーを置き、ナプキンで口元を拭ったあと、目の前の上位階者を見つめて言った。
「あの、何度も食事や舞台鑑賞にお誘い頂いて……その、楽しい時間ではありましたけれど、仕事もありますので――」
「ん?」
食事などで向き合う分には、マリエルは貴族的な男であり、マナーといい様々な芸術分野に関する知識といい、尊敬できない男ではない。ただ、いつまで続くのかわからない好意にはさすがに疲労を隠せないカミューであった。
「このような場所にお誘いいただくのはありがたいのですが、私のような若輩の身にはなにかお返しができるわけでもありません」
「そんなこと、気にする必要はない。貴官は一人もの、そして下宿住まいと聞いたゆえ、声をかけさせてもらっているのだ」
「はい」
「私も家族は持たぬ。一人で食事をとるのは味気なかろう?かといって家族のいる仲間をそうそう外に誘うわけにもいかないのでな」
「――……」
「よければ来週は――」
再びの招待の気配を感じ、カミューは今度こそはっきりと断りを口にした。
「大変申し訳ありませんが、もうお誘いは頂かなくて結構です。仕事が重なる時は、夜にまとめて片付けることもありますし。本当に、何度もありがたかったとは思うのですが」
「カミュー――」
この二月ほどで、すっかり心を許した相手と思いこんでいたマリエルは、その謝辞の意味が理解できないようであった。
「誘ったことは迷惑、だったのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「ならばよいではないか、こうして時たま良い芸術を鑑賞し、食事を共にするのは悪いことではない」
「…………」
どう言葉をつなげるべきか、困惑して黙り込んだカミューを、宥めるようにマリエルは猫なで声で続けた。
「せっかく楽しい時間を過ごす相手ができたと思ったのに残念だ――。だが貴官にとっては面倒でもあったのだな」
「べ、つに、面倒だなどとは」
「よい。考え方は人それぞれだ。では今後は誘うのを控えよう。ただ、次の休みはあけておいてくれたまえ。君にぜひ見てもらいたいものがある」
「は?」
「城からなら馬で半日もかかりはしない。私の隠れ家とでもいうべき場所だ。静かに考えごとなどをしたい時に使っている。それに、私の秘蔵のコレクションをおいてあってね。是非にもそれを貴官に紹介したい。これだけはつきあってもらえると嬉しいが」
「……はい」
しばらく考えたあとで、カミューは小さく頷いた。次の休み……週末は隣国からの賓客の予定があり、儀仗閲兵が入っているが、それを終えたあとは二日間の休みになっていた。多少遠出をしてもそのあとの任務に差し支えがでるとも思えない。そしてそれを終えたなら、こうして毎週のように声を掛けられることもなくなるのなら――。
「ありがとうございます。たの……しみにさせて頂きます」
「そうか!それは嬉しいことだ。貴官が前に好きだと言っていたからさまざまな乳酪の類を集めさせておいた。地図はまた私の従卒に届けさせよう」
「は、い……」
「ただし、その別荘はわたしの極々私的な家だ。見たならば地図は確実に火にくべるように。休日に馬で出かけるなら丁度良い距離だ。責任のある位階者であっても、城をあけて問題になるような場所ではないから安心するがいい」
「かしこまりました」
「騎士服ではなく、気軽な服装で構わないぞ。貴官とは、こうして頻々と会うことがなくなっても友人としてのつきあいは続けたいものだからな」
その言葉に、カミューは黙って頭をたれた。
Copyright(C)201x your name All rights reserved. designed by flower&clover