「失礼します。カミュー第五隊長殿がお見えです」
小さなノックの音とともに扉が開かれ、表に張り番として立っていた濃紺の騎士服を着た若い騎士が声をかける。
室内の小卓に集まり、次の訓練計画を話し合っていた特務隊長レオニダスと、中隊長ヴァレンタイン、さらには特務部隊の筆頭文官であるエリックとが、ほぼ同時に顔をあげ、扉口に目をやった。
「あ……すまない。まだ仕事中だった、のか……」
自身に集中した視線に一瞬たじろいだように足をとめたカミューが、また出直してくると背をむけようとしたのへ、ヴァレンタインが声をかけた。
「お気になさらず、カミュー隊長!単なる打ち合わせです。じきに終わりますのでよろしければこちらに……」
そう言って卓の空いた席を指し示す。
「いや、でも軍議なら――」
言いかけたカミューに今度はエリックという名の文官が、どうぞというように頷いた。年はすでに四十も過ぎているだろう彼は、それこそレオニダスやカミューが襁褓をひきずっていた頃から騎士として奉職し、青騎士団一本でやってきた。ただ、さすがに実戦部隊で現役を続けるのは厳しいかと、他の道を模索しはじめたところで、新規に創設された特務部隊長となったレオニダスの誘いを受けたのだ。
長く騎士団にいて、知り合いも多く対外情勢にも詳しい。それはまだ若造と呼ばれる年代で特殊任務に携わる一団を率いる事になったレオンにはとても貴重な知識であった。
「お前はもう終わったのか?」
「まぁ……いまは落ち着いているしね。この所忙しかったから、早く帰れと追い出された」
誰にとは、言われなくてもその場にいた皆が了解できる。カミューの文治の補佐官ユリアスだろう。部隊長と並んで華やかな容姿に、にこやかな笑みを纏う彼は、有能な事務官であると同時に、厳しい監督者の顔も持ち合わせていた。
「そうか。ではユリアス殿に叱られるまえに、こちらも終わらせねばな。カミュー悪い、少しだけ意見をくれ」
そう言われて小卓に歩み寄り、広げられた地図を見ながら、カミューは訊ねられるまま地形や、騎馬訓練にふさわしい難地などを語り聞かせた。
「ありがとうございます、カミュー隊長。やはり色々と気をつけねばならない草地や崖があるようですな」
「そのようだな、エリック殿。ではここからあとは俺たちだけで……」
とヴァルがいい、揶揄するように、年下の上官へと視線を投げた。
「明日までには計画の準備を終えておく。お前はもう帰れ」
普通なら決して上官にかける言葉とは思えないが、長いつきあいの二人の間にそういった慮りは不要であった。
「いや、だが……」
「カミュー殿が迎えに来られたということは、約束があったんだろう?」
もしこの場にエリックが同席していなかったら、当然『デート♪の』という余計な一言が付け加えられていたことだろう。レオニダスは頭髪と同じ銀に近い眉を寄せ、机の下で親友のつま先を思い切り踏んづけた。
+++
アイタバッシュ城下、中州街区――。
多くのレストランや店舗が並ぶ、公都指折りの繁華街に、レオニダスとカミューの二人が姿を見せたのは、それからしばらくあとのことであった。
「ごめん、急がせてしまって」
中の様子を聞いてから声をかけてもらえばよかった、と少し戸惑った様子をみせる恋人に、レオンは穏やかに言い聞かせた。
「いや、構わないさ。あのままダラダラ話をしていても、結論はでなかったはずだから。それよりも、お前がくれた情報を精査すれば、明日にはもっといい訓練計画ができあがっているはずだ」
「ならいいのだけれど……」
二人が向かったのは、賑やかなその地域でも一番と評判の魚料理の店だった。多くの騎士や上級公民に交じって、おそらくは人目を忍ぶようにわざと地味な装いをした公会議貴族に連なる方々も来ているのだろう、店はひどく混み合っていた。それでも静かに食事を楽しみたかった二人は、レオニダスが担当の厩務番をやって押さえさせておいてくれた壁際の柱の陰になる席にすんなりと通された。
「なにがいい?」
早速に前菜となる魚のマリネをのせたサラダと、胡椒をまぶした燻製、それに白ワインとを注文し、メインティッシュの検討にはいる。カミューはハーブを添えた鱒のグリルを、レオニダスは様々な魚介や海老をサフランで煮込んだ鍋料理を注文した。
「お待たせいたしまして……」
店の主人がみずから、仕上がった鍋を厚手の布で包んで運んでくる。
「あぁ、ありがとう」
「すごい人だね、ここの料理はおいしいから繁盛して当然だけど」
レオンとカミューが口々に礼と賞賛の言葉を述べると、鉄鍋の蓋を開けて引き取った主人はひどく嬉しそうに頭をさげた。
「公国にも魚料理の店はたくさんありますが、うちのように海からの魚介を扱う所はほかにほとんどございませんので」
「では食材は……」
「はい、レオニダス様、材料はオルミアからグランデ河を遡上する船にて、毎日のように届けられます」
「ほぅ、オルミアから……か」
ルーヴェル公国と隣接する商都オルミア――。
近隣諸国にも知られた海沿いの一大商業都市であるオルミアには、公国も領事館を置いており、近々調達が決まった新しい武器が大量に送り込まれてくるはずであった。
騎士たちの命を握る武具と、人々を楽しませる魚が、南の大河を一緒に旅してくる光景を想像して、カミューは思わず小さな笑い声をあげた。
「あぁ!……と、レオニダス様、ご無礼いたします。どうぞごゆっくりお過ごしください」
入り口付近に目をやった店主は、新しく入店してきた壮年の騎士に気付き、慌てて出迎えに向かっていった。どうやら顔みしりの客らしい、それもとびきりの払いの良い客なのだろう。店主のほかに使用人が、まるで王族にかしずくかのように、同行者の豪華なコートを預かり、特別と思われる鍵付きの戸棚にしまうのが見えた。
「――よほどの上客だな」
呟いたレオニダスの言葉に、なにがあったのかと振り向いたカミューの顔がこわばった。
「どうした?」
「アレクシィ、殿…」
「なに?あの騎士が?お前の義兄にあたる?」
「ん……。そういえば、今回の調達の功労者として、近々公都に戻られるというような話をコーレル様が――」
「そうなのか」
店内の一段高くなった、特別と思われる席に案内された三人連れは、慣れた様子でメニューも見ずに数点の前菜と料理を注文し、運ばれてきたつまみの品と共に開栓された赤ワインを楽しみ始めた。
前菜の皿が届けられたのを見計らい、カミューは一言『ごめん』とレオニダスに断りをいれ、ワインを一口飲み、ナプキンで口元を拭うと席を立った。
「カミュー?」
「大丈夫、やはり気付かないふりはできないよ――」
そう言って、すっきりと背を伸ばし、混雑した店の中を優雅な動きで件の席まで歩いていく。
「あいつか……」
アレクシィという名のマーロゥ家の跡取りがかつて自分の、誰よりも大切な相手にしてのけた陰惨な虐めを知るレオニダスは、なにかあったらすぐにでも彼を守って店を出ようと、店の主人に早めの精算を言いつけた。
「アレクシィ様――」
「これはこれは、カミューではないか。なにをしていた?食事か?おまえでもこのような高級な店で食事をとれるようになったとは驚きだな」
カミューが赤騎士団第五部隊長にまで昇進したことを、もちろん知っての上の言葉であった。自分よりずっと下にみていた西の国から来た子どもが、自分がオルミアに派遣されている間に、いつの間にか位階をあげ、騎士隊長とまで呼ばれる身になっていたことは、アレクシィの中ではまったく容認できるものではなかったのだ。
「は……、今宵はたまたま友人と」
「ほう」
「この度は多大なる成果をあげてのご帰任、おめでとうございます」
「あぁ、まぁ……な」
尊大な態度でどのようにあしらわれても、カミューは我慢強かった。一段高い貴顕のためのテーブル席に着いた目立つ一行の傍らに歩み寄った美貌の赤騎士の姿に、店内の人々の目がさりげなく集中する。すんなりと伸びた手足、柔らかな金茶色の髪、驚くほどに整った目鼻立ちはアレクシィと呼ばれた賓客が連れた美女におさおさ引けをとらないほどだった。自尊心の高い人間に共通する傾向で、相手が低姿勢にでれば心はそれなりに満足し、それに伴って対応にも余裕が生まれる。アレクシィは自身はそれを不快なことと思いつつも、周囲が憧憬の視線を投げる美貌の若騎士から、丁寧な挨拶をされることに不満はない。
「そのうちお前の部隊にも、新着の武器を回してやろう。以前のものよりずっと扱いやすく、これからの戦が楽に進むはずだ」
「はい。ありがとうございます……、あのこちらの方々は――?」
「あぁ、今回の調達の任で世話になったオルミアの豪商パオロ殿と、その娘分のレオノール嬢だ」
「それは……、初めてお目もじつかまつります。赤騎士団第五部隊長を勤めます、カミューと申します」
カミューは挨拶し、騎士のつける徽章に今ひとつ詳しくなく、ただその美貌と優雅な所作にのみ目を奪われていたパオロは慌てて腰をあげかけたが、アレクシィのひと睨みで咳払いをし、席に戻った。あくまでもマーロゥ家とは無関係、騎士団内の知己という扱いを続けるアレクシィである。カミューは続いて、静かに笑顔を浮かべる女性へと向き直る。
「彼女は次期マーロゥ伯爵夫人になる、礼をつくせ」
「それは!……おめでとうございます」
とカミューは片膝をついて、差し出されたレニの繊手を取り、その甲に恭しく唇を触れさせた。
「どうぞレニ、とお呼びください、カミュー様」
「そんな奴に簡単に手を許すではない、レニなどと呼ばせることもない!」
多少苛立ったようにアレクシィが声をあげ、それを機と見てカミューは立ち上がり、辞去の挨拶をする。
「楽しいお食事の席にお邪魔してしまって申し訳ありません」
「あぁ、お前の顔をこの店でまで見るとはな。早くもどるがいい」
あくまでも素っ気ないアレクシィの言葉を遮るようにそっとレニが手をさしのべ戒める。
「カミュー様、お目にかかれて嬉しゅうございました」
「は、では失礼致します。どうぞよい夜を――」
「………………」
丁寧な挨拶に、返答すらしないアレクシィの代わりに、レニが未来の伯夫人としての余裕を見せて、にこやかに声をかけた。
「えぇ、カミュー様もよい白夜<びゃくや>を……」
やがて、恋人が待つテーブルへと戻ったカミューを、レオニダスの心配そうな顔が迎えた。店内のざわめきに紛れ、会話の中身までは聞こえなかったがあのアレクシィが、あくまでも彼を義弟とは認めようとしない伯爵家の後継が、今回の栄転を背にどれだけかさにかかった態度をとるかと思うと、気が気ではなかったのだ。
しかしカミューは静かに席につくと、待たせたことを小さく詫びて、食事の再開を祝うかのように、ワイングラスを掲げてみせた。
「ごめん、せっかくのレオンの料理が、冷めてしまったね。注文しなおそうか?」
「いや、構わん。それより……」
「私なら大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「ならばいいのだが」
食事を終えた二人は、途中で軽めのデザートワインを一本手に入れ、レオニダスが祖父母から受け継いだ城下の家にたどりついた。別棟に住むばあやとその娘はすでに引きあげたあとであったが、連絡が行き届いていたからか、二階にある家族の居間と客間、レオンの寝室の暖炉にはたっぷりの薪がくべられ、浴室には遅い帰宅の頃にちょうど良いように熱めに整えたのだろう湯が張ってあった。
友人同士であった頃とは違い、一緒に湯を使うのをなんとなくためらう仕草を見せるカミューを先に浴室へ送り込み、キッチンからグラスとつまみものを、客間からはローブを持ってきて交代する。いままでにも何度か招いたこともあり、いまではカミューに合う簡単な着替え数点がすでに客間には買いそろえてあったのだ。
寝台に移動したあと、そっと唇を合わせてからローブの前を開く。
「いい、か?」
そう訊ねると柔らかな寝台に体を沈めたカミューが小さく頷いた。初めて肌を合わせてから何度目になるだろう。最初は翌日も深い場所に残る違和感と、体のふしぶしの痛みとで、ろくに起き上がれずに凹んでいたカミューだったが、少しずつ恋人の愛撫の手にも慣れてきたようだ。特に、体調を案じたレオニダスが友人の医師から譲り受けてきた、良い香りのするオイルを使うようになってからは、翌日一日中寝込むようなこともなくなった――。
慣れてくるのに従い、愛されているという幸福感と、体のすみずみまでを満たす悦びとを受け取り、時に奔放なまでの声を上げる恋人がレオニダスには愛しくてならなかった。
この夜も互いを高めあい、深く愛しあってその絶頂でふっと意識を手放したカミューである。浴室でタオルをしぼり、うっすらと纏う汗と放ったものの名残を拭き取り、レオンは暖炉に薪をくべ足して恋人の傍らへともぐりこんだ。
疲れたのだろう、すぅすぅと静かな寝息をたてていたカミューがふと、薄いまぶたをあげて、呟いた。
「白夜<びゃくや>……って」
「ん?どうした?」
「……白夜<びゃくや>って……、なんのことだろう――?」
「カミュー?」
半分睡魔に引きずられながらの呟きだったが、レオニダスは首を傾げた。[白夜<びゃくや>]どこかで聞いたことのある言葉だった。だがどこで――?ルーヴェルで普通に使われるものではない。エルベテールのなにかなのか?いや、それはないだろう。
もしカミューの故国での言葉なら彼が訊ねるはずはない。
ではどこで――?
押し黙り、考え込んだレオニダスの腕の中で、問いかけた本人は静かな眠りに落ちていった。
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