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二. ヴァンフリートは戦略的要衝の夢を見る?

ところでヴァンフリートなんですけれど、一五〇年も戦っていて、どうしてこれまで戦場になっていなく、外伝Vで突然のように戦場になったんでしょうか。田中先生の筆使いだと、まるでヴァンフリート星系がそれを望んだから、とでも結論せざるを得なくなりますが、無論そんなはずはありません。ヴァンフリートが戦場にならざるを得ない、何らかの理由ができたからに違いありません。と言うことで、まず『なぜ、ヴァンフリートなのか?』というあたりの理由付けから物語が始まります。

なんでヴァンフリートで戦うのか、と言う前の根元的疑問。別にヴァンフリートに限らず、一体、この二つの国は一五〇年もイゼルローン回廊の回りだけで何を考えて戦っていたのだろうかということです。

一五〇年の間、何十度という艦隊戦闘(つまり会戦)が起きていますが、これらの会戦の戦略的目的、土地(星系)の支配権だったと解釈せざるを得ないのです。つまり、陣取り合戦のように、確保した制宙権(コマンド・オブ・スペース)を前進させ、敵の本陣まで進ませれば戦争の勝ち、という戦略思想に基づく戦いだったということになります。つまり、帝国軍が同盟領内に拠点を確保すべく艦隊を進め、これを同盟軍が防御するという。従って、ヴァンフリートでの戦いも、ここに拠点を置きたい帝国軍と置かせたくない同盟軍の戦いという性格を持つことになります。

ただ、この戦略思想で本当に戦争の決着をつけられたかどうかは疑問です。第二次世界大戦以降の本格的な戦争で、交戦国(とその支援国家)がほぼ互角の国力を持つ場合、相手の首都(あるいは戦略的な中枢部)まで前線(制宙権)を前進させ切る前に、戦力なり国力なり、あるいは戦意なりが尽き果ててしまうという傾向が見られます(朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラン・イラク戦争等)。

にしても続きすぎです。どうして止められなかったのだろうか、と思ってしまいます。人的な要素だけで動いている人間の営為は、当事者がいなくなれば止まってしまいます。止めたくても止められないような周辺条件(仕組み)が出来上がってしまうと、当事者がいくら止めようとしても止められなくなります。その仕組みができあがっていたのだ、と考えるべきなのでしょう。本編にもフェザーンが裏で動いていたような記述があります。ただ、フェザーンがどう動こうとも、帝国と同盟の国家的意思決定を左右できるグループが戦争を止めようと決意すれば、長期の停戦は可能だったでしょう。裏返せば、そういったグループが、『戦争の継続で利益を得る仕組み』が出来上がっていた、と言えます。

で、ホントに銀英伝の両国がそんな戦略思想で戦争をしていたかというと、全然そんなことはないようです。本編一巻冒頭のアスターテ会戦で、ラインハルトはアスターテへの進出を阻止されています。こう考えてみると、戦略的な意図をヤンに挫かれる結果に終わっています。つまり、ラインハルトは戦略的な敗北を喫したわけで(かなりな詭弁であることは承知の上ですが)、その彼に元帥の座を与えると言うあたり、帝国は完全に戦争のために戦争をしている状態に陥っていたことが分かります。要するに個々の局面ごとに味方より沢山敵兵を殺せば、その戦いの『勝利!』ということです。

軍はメンツと惰性で無目的な戦争を続け、両国の政治・経済指導者は慢性的な戦争から経済的な利益と社会的な地位を吸い上げるという構図。根本的にこの構図を覆したラインハルトに正義があると言わざるを得ません。


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