銀英伝での戦争では、それによって解決されるべき政治的課題への言及がありません。自然災害のように戦争……というよりも戦闘が続いていきます。田中芳樹氏は、戦争の情緒的把握―――自然災害的な不可避的な悲劇として捉える感覚の所有者でないことは、原作中、ラインハルトやヤンが何のために戦っているのかの明確な提示がない、と何度も嘆いている点から明らかです。意図的に無目的戦争を記述することで、両国政府の無能と愚劣さを浮き彫りにしようと試みたものと思われます。 原作本編中3巻以降はそうでもないのですが、2巻までの戦闘には戦略的な位置づけが不明確なものが多いように感じられます。アスターテ会戦は、ラインハルトが上級大将に昇進したこと。同時に伯爵の位階を授けられ、ローエングラム伯となったことに伴い、実力を周囲に証明するために二万隻の艦隊を与えられて征途に上ったとさらりと書かれています。これは、まあ、無目的に兵を弄んでいる帝国政府としてはあり得べき事象と考えて良いでしょう。 ここでアスターテ会戦に関するいくつかの疑問を提示してみます。
初動では、後れを取ったのではなく、後れを取ったように見せかけたのです。所謂、後の先を狙ったわけです。傑出した戦略家であり、天才的な戦闘指揮官であったはずのラインハルトが、パエッタ提督ごときに初動で後れを取ったはずがない、と仮定すれば、彼はわざと同盟軍の包囲網に頭を突っ込んでいった。さらに踏み込めば、同盟軍が包囲作戦をしたくなるような戦場を敢えて選んだ、その結果がアスターテだった、と結論づけることが可能です。 同盟政府としてはラインハルト軍に壊滅的打撃を与えて、『大勝利』を国内に喧伝する必要がありました。また、『将軍たちは前の戦争の準備をする』の謂いの通り、同盟軍首脳はラインハルト艦隊と味方艦隊の位置関係に『ダゴンの殲滅戦』のみを重ねて見ていたのでしょう。同盟政府の状況を鑑みれば、彼らを破滅に導いた同盟での総選挙がそろそろ視野に入っていたはずです。また、ラインハルトの登場にともない、同盟軍はしだいしだいに各戦場で大きな痛手を被るようになり始めていました。第三次ティアマト会戦での第11艦隊の全滅(艦隊司令部の)、第四次ティアマト会戦での鮮やかな敵前回頭による大乱戦等々、大敗北ではないにしても、票になる快勝からは遠ざかっています。ここにラインハルトがのこのこと同盟領深部に入ってくる。絶対に勝て、と軍部に指示する時、『ダゴンの殲滅戦を再びせよ』というような命令となったことは想像に難くないのです。それがまた、アスターテの戦いをダゴンの戦いの再来と見なす、同盟軍首脳部の固定観念を補強したとも言えます。 ラインハルトにとって、同盟軍が分進合撃作戦を採用してくることが理想的で、出撃時にはすでに各個撃破の戦術を胸に抱いていたはずです。が、無論、同盟軍が包囲作戦に出てこない場合のコンティンジェンシ・プランも用意していたに違いないのです。でなければ、彼は単なる猪武者であり、英雄と呼ばれる存在にはなり得ませんでした。原作にはこのコンティンジェンシ・プランは述べられていません。『落日の弔歌 第一部(6)アスターテ前夜』中では、リデル・ハートの原則と勝手な想定の許にこのプランについて触れてみました。 ここで1)に戻ります。結論から言えば、ラインハルトはアスターテで望んだのは『戦術的な完全勝利』だったわけで、戦略的にはどのような課題も設定していなかったのです。2)について言えば、要するにどこでも良かった。同盟軍が『ダゴンの再来のチャンス!』と錯覚してくれる戦略的状況を作り出せるなら、ということになります。 伯爵に上り、上級大将となり、戦略的な軍事力を動かせる立場に立った段階で、彼はさらなる栄達のために個人的に巨大な武勲を立てることのみを、アスターテの戦場でのテーマにしたものと考えられます。そうすることで、真に帝国の中枢に対する足がかりを確保するのが目的だったわけです。つまりは、原作外伝3冒頭のヴァンフリート宙域での戦いと同じです。 以上の観点に基づき、アスターテ会戦を分解し、再構築してみました。それが、『落日の弔歌 第一部(6)アスターテ前夜』です。 |