『ローエングラム王朝はいつ成立したのか』なんて議論も面白いです。常識的な回答は、新帝国暦1年(宇宙暦799年)6月22日、ラインハルトが自らの頭上に帝冠を授けた時……ということになります。 ローエングラム王朝はラインハルトの戴冠で始まると言えますが、言いたいのは彼が帝冠を戴いた瞬間、ローエングラム王朝というものが幻のように出現したと言うべきなのかという点です。これは否であり、ラインハルトの戴冠はいわば形式が整ったというべきです。 ローエングラム王朝の実質的成立は、ラインハルトのもとに銀河帝国の全権が集中した時点であるとすれば、それはリップシュタット戦役後に、リヒテンラーデ公の勢力を排除し、ラインハルトが文字通りに独裁者になった時点を考えるべきです。さらに彼にそれを可能にさせたのは、門閥貴族の滅亡です。具体的にはブラウンシュヴァイク公の自殺を持って、ラインハルトに対抗できる最後のゴールデンバウム王朝の勢力が消えたと考えても良いでしょう。リップシュタットの戦役がラインハルト陣営に有利に傾くに連れ、ローエングラム王朝の実質が完成していき、戦役の完了とリヒテンラーデ公の退場によってそれが完成したと考えて良いわけです。さらにその萌芽を辿れば、彼の元帥府の開設と、それによりラインハルトが独自の人事権を入手した時点までたどり着きます。ローエングラム王朝は、ラインハルトが元帥杖を手にした時点を最源流とし、アムリッツアでの辺境支配権確立で原形が完成され、リップシュタット戦役を経て成長、戦役の勝利を以て実質的に完成したとも言えるわけです。 七面倒なことの好きな歴史家は指摘します。 『では、在位二年にしてラインハルト帝が死去した後、アレクサンデル・ジークフリードが戴冠するまで、ローエングラム王朝は絶えていたのでしょうか?』 答えは、否です。そんなことはありません。ラインハルト帝が亡くなり、アレクサンデル・ジークフリード帝が第二代の帝位を嗣ぐまで、ローエングラム王朝銀河帝国は確固として存在し続けていました。 第2問です。 『本当にそうでしょうか。では―――玉座に皇帝がいなくとも銀河帝国は続くのでしょうか?』 答えは、「皇妃ヒルダが摂政として皇帝を代行していました」です。 さらに問答が続きます。 『では皇帝がいなくとも、摂政さえいれば王朝は続くということですね? ところで皇妃ヒルダはたまたま皇妃でしたが、皇妃以外の、たとえば皇帝とは何の関係もない人物が摂政を務めたとして、それが帝国の継続を意味するのでしょうか。関係のない人は摂政になれないでしょうけれど、ではローエングラム王朝と関係ある、ないとはどう考えればよいのですか? あなたがローエングラム王朝銀河帝国の臣民であれば、関係があると言えますか? バーラト自治領の住民は、そこを自治領とすることにラインハルト帝が許可を与えられたのですから、やはり関係がないとは言えませんね』 ここまで来るとかなりな屁理屈になってきますが――― 『屁理屈ですが、なぜ屁理屈かを論じるには、ローエングラム王朝とは何かをきちんと定義しておく必要があります。怠ると、私がやってみせたような屁理屈での堂々巡りになってしまいます。では、ローエングラム王朝とは何でしょうか?』 おかしな議論になってきましたが……ラインハルト帝の創始された王朝です……と定義しましょう。そうすると、たちまちこんな風に反論されました。 『帝政であり、それが皇帝専制の政体であるという点でローエングラム王朝はゴールデンバウム王朝と何ら変わるところがありません。ローエングラム王朝とは単に玉座を嗣ぐ人間の血統を取り替えただけの、ゴールデンバウム王朝そのもの……獅子の皮をかぶった双頭の鷲ではないのですか?』 極論です。極論ですが、ローエングラム王朝はゴールデンバウム王朝を否定したところから生まれた―――と再定義してみます。 『ゴールデンバウム王朝の否定とは何でしょうか。それはゴールデンバウム王朝の皇帝を玉座から逐う。もっと現実的な表現をすれば、ゴールデンバウム王朝の血統を根絶やしにすることがゴールデンバウム王朝の否定を意味すると考えられますか?』 これは否です。ラインハルト帝は、エルウィン・ヨーゼフ二世を殺害しませんでしたし、カザリン・ケートヘン帝の実家は貴族として優遇しました。 『しかし、エルウィン・ヨーゼフ二世帝は自由惑星同盟への亡命を強いられ、その最期は知られていませんし、カザリン・ケートヘン帝の実家もその後、没落して、カザリン・ケートヘン帝自身の消息も不明です(原作はそうは述べていませんので、これは勝手な議論です)。これは暗にラインハルト帝が彼らの死を策したとも受け取れますね。ラインハルト帝自身ではなく、その側近が主体者だったとしても、ローエングラム王朝という政治体制の意思である点で何も変わりません。ゴールデンバウム王朝の始祖であるルドルフ帝も旧銀河連邦の共和主義者を様々な手段で抹殺していますから、前政権の血統の……肉体的なものに限らず、政治思想的な意味での血統を抹殺することが、政権の移行を意味すると考えるのは筋の通るところでしょう。まとめると、ローエングラム王朝とは前政権のゴールデンバウム王朝の血統を抹殺することで、ゴールデンバウム王朝の単純な後継者ではないことを歴史上に主張できると結論づけることが可能になりますね』 どんどん議論が極論へと走っていきます。この議論には納得できません。ローエングラム王朝におけるゴールデンバウム王朝への否定は、前王朝の血統者の大量殺害ではなく、その政策全般の否定という点で特徴づけられると考えるべきではないでしょうか。 『ローエングラム王朝は皇帝専制であるがゆえに、平民の政治参加を否定している点でゴールデンバウム王朝と政体において共通しています。政策が否定されているとは考えにくいですね。具体的に例証してください』 整理します。 - ゴールデンバウム王朝とは一部の特権階級にのみ極度の権力と資産とを集中させ、それを世襲によって維持させる、極端に不公平で不公正な仕組みを国家の体制として保証するものだった。 - ローエングラム王朝において前王朝の貴族の特権がほぼ全面的に排除され、権力と資産とが平民を含めた帝国の全臣民に平準化されました。これはラインハルト帝によって基礎を築かれ、ヒルダ皇太后とアレクサンデル・ジークフリード帝によって確立されたローエングラム王朝の政治体制によるものです。 ここまで議論して、ようやくローエングラム王朝とは何かという定義ができてきました。 |