騎士物語4

モンターニュ事情2

ルークは自信に満ちた口調でそう言い、椅子から立ち上がって暖炉の上の飾り棚におかれていたワインボトルに手を伸ばす。開けかけだったコルクを指先で弾き、そのまま一気に中身をあおった。
「ルーク様!」
一国の皇子としてはあまりな不作法と、思わず留めようとして声をあげたルーガンを、モンターニュの皇子は鼻先で笑い飛ばした。
「俺に逆らうな、ルーガン。父親の不行跡をよく考えるのだな。お前が皇国から放逐されずにすんだのは、俺の側仕えが必要だったからだ。そうだろう?」
「それは……」
「この俺の側仕えとして召し出されなければ父親(あの男)と共にお前の母も妹も、一族がそろってモンターニュを追われ、流民としてみじめな生活をしていたことを忘れるでないぞ」
「ルーク様……」
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この二人、ルーク皇子とルーガンと呼ばれた男の間には複雑な血縁と、それ以上に煩雑な親族同士の確執とが絡まり合っている。
ルーガンの父はモンターニュの現皇王の弟であり、ルークは現皇王の第一皇子。すなわち、二人は従兄弟同士に当たるのだ。年齢はルーガンがルークよりも十才余り上であった。
血筋の皇国と呼ばれる北の大国モンターニュは、その始祖の時代から脈々と続くモンターニュ皇家直系によって治められてきた国である。三侯爵が鼎立し、その中から選ばれた一人が大公として統治するルーヴェルが、選ばれし大公の国と呼ばれるのと見事な対照を為していた。
現皇王は即位して直ぐに妃を迎えている。彼女は皇国の中級貴族の娘であったが、現皇王は皇嗣時代にそれを見初め、初志を貫いて皇妃に迎えたと伝えられる。そのためか、二人の仲は睦まじく、後宮には波風の一つも立っていない。
皇王夫妻にとって残念なことに、彼らの間には長く子ができなかった。血筋を尊ぶ大国であるが故に、皇王家の血を引かぬ者が皇王位に即くことは許されない。当然のように、次代の皇王は現皇王唯一の弟が継ぐものと誰しもが思い、正式な皇嗣冊立の儀式もごく近い将来に行われるべく、計画が練られ始めていたのである。
皇弟本人もまたすっかりそのつもりで勉学に励み、兄皇王の片腕として内政や国内経済の発展のために努力してきたのだが、思いもかけぬ出来事が起きたのが二十数年前のこと――。
皇王が跡継ぎたる皇子を得たのである。婚姻ののち十年近くをすぎて突然授かった子供、しかも男児の誕生により、皇弟は皇王位を継ぐ望みを打ち砕かれた。いや、自身だけではない。彼の長男、自分の次に皇王位を襲うであろうと踏んだ一人息子もが、後継者としての熱心な教育を施してきたにもかかわらず、将来の可能性を失った。皇弟の失望と混乱はどれほどのものがあっただろう。


「俺が生まれたことが家の不幸の始まりだと、呪うなら呪うがいい。だがだからといって、あの男のしでかした不始末を帳消しにすることはできないのだぞ」
ルークの言葉が、残忍な無形の槍となってルーガンに向かって突き出される。
そう、次代の皇王の後継として、その期待を一身に背負っていた長男こそが、このルーガンなのである。
「――父は不行跡の責めを自らの命で償いました」
しかし、ルーガンの声に動揺はなかった。
幼き日、将来の糧になるだろう書物を彼に読み聞かせ、時間が許す限り剣や乗馬の相手をしてくれた父。その父が、入れられた牢内で自死を遂げたと聞かされた時、ルーガンはやっと十才をすぎたかどうかの年齢だった。

「償って当然だ。周辺国の間で結ばれた唯一の協定、その批准国の民であれば絶対に守らねばならぬ『騎士の協約』を、皇弟ともあろう者が部下たちの前で堂々と破ってのけたのだからな。よくもぬけぬけと皇都に帰り、弁明までして見せたものだ」
『騎士の協約』とは、この世界で騎士の制度を持つ国々が参加し、外交や戦いにおいて騎士たる者が決して破ってはならぬ倫理を定めた誓約である。紳士協定ではあるが、ほとんどの場合に違背者は厳しく糾弾され、あらゆる公職から追放されるだけではなく、市民権を剥奪されて流民として生きるよりなくなる協約だった。
「……」
「まあ、よい」
ルーガンの削げた頬に微かに血の色が差すのに、ルークは目を細め、頬をつりあげるようにしてにやりと笑った。
「さっさと計画を進めろ。お前が兵糧の備蓄がどうだ、渡河の準備がああだとぐたぐた言うから、待ってやっているのだ。今更、計画を取りやめろなどという世迷い言、聞きたくもない。俺は明日にでも、ノルテを押し渡りたいのだ」
「……」
「返事はどうした、ルーガン!」
狼の咆吼じみた怒声がルークの咽喉から迸り、ルーガンはもはや致し方なし、と膝を折った。

「ご命令――しかと承りました、ルーク様」
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