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一. いったい誰が話しているのでしょうか?

ローエングラム侯爵…二年前、マグダレーナ、ヴェストパーレ男爵夫人から初めてその名前、一九歳でもう中将の地位を得ていた、ラインハルト・フォン・ミューゼルの名前を聞かされて以来、わたしは彼を注視し続けてきた。果たして彼が、姉グリューネワルト伯爵夫人への皇帝の寵愛を利用して宮廷での威勢だけを望む人物…俗物…なのか、それともわたしが感じ続けていた帝国のあり方の矛盾に気づいて、それを変革しようとしている英雄なのか。
皮肉なことだ。彼が後者だとわたしに確信させたのは、ほかならぬゲルタだったのだから。彼についての意見を求めたときの、彼女からの返信は、ゲルタらしからぬあまりにも抽象的な内容だった。
『ラインハルト・フォン・ミューゼルに近づくのは極めて危険なことです』
たったそれだけ。
何が危険で、どうしてそう判断するのか、彼女は何も告げてはくれなかったのだ。マグダレーナもそうだったが、彼を『危険』と形容した人はほとんどいない時期だったにもかかわらず。
わたしの目から見ればゴールデンバウムの王朝は愛惜に足る存在ではないし、生命をかけて守り抜くべき対象でもない。ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯、おそらくはリヒテンラーデ公ですら、ゴールデンバウム帝室に真の忠誠などを抱いてはいないはずだ。帝国広しといえども、ゲルタ……コルネリア・ゲルトルーデ・フォン・シュミットバウアー男爵夫人ほど、帝室に対して絶対的な忠誠を抱いている人物は少ない。
その彼女が『帝室に対して最も危険』と判断するなら、それはただの野心家ではあり得ない。ゲルタがローエングラム侯を危険と見なすのは、彼が帝室そのものへの敵意を抱く存在と見通しているからであり、この場合、帝室への敵意は、帝国の直面している閉塞状態を帝国自体の否定という手段で解決する意思を示すものに他ならないからだ。

もし、今上<フリードリヒ四世>がグリューネワルト伯爵夫人を見いだしておらず、なお、新たな花を帝都に探し求めていたとすれば、彼女もまた皇帝の手に手折られる可能性を否定できなかったに違いない。ちょうど、七年前、ゲルタ自身がそうであったように。
ヒルダの父、マリーンドルフ伯爵は一〇歳になる前のヒルダを連れて帝都を離れていたようだが、その意図が奈辺にあったのか、推測は容易だった。考えようによっては、マリーンドルフ伯爵は、宮廷での絶対的な権勢を握ることのできたかも知れない道を自らの意思で閉ざしたとも言える。その行為が単に、娘を政争の具として宮廷での勢力争いに加わるのをよしとしない潔癖さに基づくものか、それとも今上と帝室のあり方に対する消極的な批判に拠るものか、それを判断し得る材料はない。しかし、伝え聞く伯の為人から慮るに、おそらくは後者であったろうし、それだけで伯は帝国貴族の中の極少数派としての存在を主張するに足りる。また、そのような父からヒルダがまったく影響を受けずに育つと言うこともほとんど考えられ得ないのだ。

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