オーベルシュタインが、選挙を基本とする民主共和制に関してどの程度までの考察と批判を抱えていたのかは明確ではない。ただ、ローエングラム王朝の創業に際して、彼が指向したのが絶対専制君主制であって、立憲君主制ではなかったことをもって、回答に替えることができるかも知れない。帝国、ひいては人類社会全体のコペルニクス的転換を果たすには、ラインハルト・フォン・ローエングラムという希有の政治的個性の最大限の発揮が不可欠だった。立憲体制下での憲法、さらには民主共和制での選挙、いずれもがラインハルトが権力を揮う上での制約になりこそすれ、それを効果的に扶助する機能を果たすものではない。オーベルシュタインがそう判断していたとしても驚くべきことではないように思われるのである。
さらに、選挙制度に対してオーベルシュタインが抱いていたマイナス評価としては、選挙による政治的権力の移動は、官僚組織による行政メカニズムの競技場<アリーナ>の範囲にのみ限定される点であったものと思われる。彼にしてみれば、ゴールデンバウム体制からローエングラム体制への移行は、同盟における、選挙による政権交代とはレベルの全く異なる、一種の『革命』と称されるべきものである。従って、ローエングラム体制の確立とは、行政メカニズムの競技場<アリーナ>自体の解体と再構築<スクラップ・アンド・ビルド>を伴うものでなければならなかった。 解体と再構築<スクラップ・アンド・ビルド>、すなわち旧体制下の官僚の総入れ替えである。 古来、『革命』あるいはそれに近い形での政治体制の変革がなされる時、旧体制の官僚のみならず、彼らの存在を前提とした統治機構自体が一掃され、完全に一新した行政の実行組織が手作りされることが多い。これは新政権の首座に就いたものにとり、権力機構のトップがすげ変わった程度で一新されるほどに、官僚組織が脆弱なものではないのが自明であるがためだ。多く、新たな行政のメカニズムは円滑には機能せず、末端レベルでの軋轢を生む。摩擦が限界を超えると、新体制は破断界を超え、自壊と新たな政治的混沌への道を歩み始めるのである。この軋轢に耐えて行政の実を上げ得るようになるか否かにおいて、新政権の命脈の長さが測られると言っても良い。 一つの権力体制があるとして、最高権力者がその肉体と精神を体現するものであるとすれば、官僚機構とはその肉体と精神を載せている細胞組織、あるいは細胞そのものの基本的な性格を定め受け、継いでいくDNAに他ならない。国家体制という一個の肉体が滅びたとしても、その肉体を形作っていた遺伝子が国家の統治システムと言う形で受け継がれ、生き延びていく。 ゴールデンバウム朝銀河帝国は、旧銀河連邦の統治機構を巧みに纂奪するという形で成立した。体制のトップに於いては、ルドルフのカリスマと剛腕と言って良いその政治的力量による、本来不文律によって禁止されていたはずの首相と国家元首兼務の実現。これによりルドルフに対する一切の政治的制約が解除された。同時に、銀河連邦の官僚機構においては、民主共和制の持つ本質的な非効率性と、本来はその強力なリーダーシップによって非効率さを補うべきであるにも関わらず、己の地位保全にのみ汲々とする政治家への激烈なまでの嫌悪が進行していた。 投票という形式を経て『民意』の審判を受ける政治家とは異なり、官僚機構は、それぞれの時代において『優れた』とされる人物が、試験により登用され、構成員となるのが普通である。登用の制度がより精緻となり、精巧さを増すにつれ、採用される人間への選別度が増していくのは当然のことである。難度の高い選別をくぐり抜け、行政の末端に加わった人間が自己の能力に対する高い自負を維持するようになるのもまた理<ことわり>というべきであるが、これは同時に一種の選民意識へ容易に転じうるのである。 統治実務の専門家として高い意識を獲得すればするほどに、それぞれが自己主張のみを繰り返す一般大衆は、より高効率な行政システムの実現をただ恣意に任せて妨げている障碍物以外としてはその視野には映じなくなる。同時に彼ら民衆の支持だけを求め、官僚機構に負荷のみを課してくる政治家は、単なる衆愚政治業者として侮蔑の対象でしかなくなるのである。選挙によって選出される政治的代理者はしばしば『選良』と呼ばれるが、優れた官僚の視点から見れば、彼らは『選良』ではなく『悪貨は良貨を駆逐する』の好例でしかなく、真の『選良』とは官僚組織の頂点を占める少数者に他ならない。 こうして、人類の現状への危惧と、理想の実現への高い意欲を抱けば抱くほどに、銀河連邦政府の、特に高級官僚達の間で『より効率的な、より強力な政治的リーダー』への待望論が高まったのは蓋<けだ>し当然と言わざるを得ない。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの当局を熱狂的に歓迎したのは、無論、ルドルフのカリスマ的な政治的剛腕に心酔した多くの一般民衆だったが、同時に銀河連邦政府そのものが民主共和制から皇帝専制への変容を拒絶よりも待望の感覚を持って迎えていた事実もまた無視し得ない事実である。 そうした官僚……当時、しばしば『新官僚』と呼ばれた一群の高級官僚グループを主導したのが、ルドルフと相携<たずさ>えて軍を退役し、自ら望んで銀河連邦政府の官僚機構に身を投じたヨーゼフ・シュミット。後のヨーゼフ・フォン・シュミットバウアー侯爵だった。ヨーゼフ・シュミットの功を高く評し、侯爵号を与えると共に、『シュミットバウアーの進言を軽く聞いてはならぬ』と遺言したのは、ルドルフの人物眼を示すものと受け止めるべきである。 ゴールデンバウム王朝を支えた三位一体……門閥貴族、帝国軍、官僚組織の内、リップシュタット戦役によって前二者は崩壊した。残るのは帝国政府の行政官僚機構である。ルドルフの政治思想の体現が出自である以上、その粛清なくしてローエングラム体制の確立はあり得ない。オーベルシュタインにとっては自明の理に他ならなかった。 |
第三部第一節、オーベルシュタインによる官僚組織論の原案。民主共和制に対する批評部分は、今回は不要なので丸ごとカット。 |
もともとは『選挙だけで一つの国の政治の方向性というものが簡単に変わるものなのか』と疑問を抱いたところから。明治維新と昭和20年以降の差異についても考えてみたかったので、筆(キーボードに任せて)。オーベルシュタインに仮託したのは、国家のDNAとしての官僚組織論を考える人物がいるとしたら、彼しかいないだろうと思ったから。 |