室内の造作が無個性なのは、それらが同じ目的で作られているからだと思う。 目を開けて、焦点が定まったとき、ゲルタはそこが天上<ヴァルハラ>ではないことを察していた。 オフホワイトで構成された、機能的でシンプルな内装。独特でありながら、他のどのような地域でも同じ目的で建てられた以上は共通のかすかな刺激臭は、明らかに消毒薬の匂いだった。右側に切られているらしい窓からは明るい日差しが流れ込んできており、左側の視野は何本かの線で区切られている。 ―――明るい部屋にいる以上、明日をも知れぬ重体というわけではないわけね。でも、余りすぐには身体を動かせない程度には重傷……そういうことか。 冷静に分析する一方で、一体自分がどこにいるかを思い出せなかった。途方もなく長い夢を見ていたような気がすると同時に、本の一瞬前までは周囲に死と破壊が充満していたように思えるのは錯覚だろうか。貴婦人としての教育よりも、軍事や白兵戦闘技を学んできた時間の方がはるかに長かったから。 思い切って身体を起こしてみようとしたが、やはり身体は思うように反応しなかった。わずかに上体を起こしたところで右半身を激しい痛みが襲い、苦痛をのどの奥でかみ殺す羽目になった。ただ、まったく身体が動かないのではないことは分かった。全身を覆うような倦怠感と苦痛を無視して少し無理をすれば身体も起こせるし、おそらくはベッドを降りて歩くこともできるだろう。 ―――ここは、どこ? まだ記憶がはっきりしない。何人か、ひょっとして何十人かの顔が彼女をのぞき込み、あるいは眉を顰め、あるいは小さく頷く、あるいは心配げに呼びかけてきたような記憶が、断片的に浮かび上がっては、泡のように消えていく。捕まえようとすると、すいと指先から消え、サラサラと音を立てて手のひらからこぼれ落ちていく。 目を閉じて、彼女は雑多極まる様々なシーンが心の表層を流れすぎていくのに任せた。 ゲルタが全身を強ばらせたのは、よほどの時が流れすぎて、窓からの光がややオレンジ色を帯び始めた頃合いだった。 「……ヴィンフリートT」 たまらない怠さと苦痛を押さえつけ、今度こそゲルタは状態を跳ね起こさせた。正確には辛うじて、起き上がったというあたりなのだが、本人の主観としてはそうだったのだ。 「ヴィンフリート……どこ? ヴィンフリートッT」 「―――あ、やっと目が醒めたかい」 ドアが開き、ゲルタははじめてそこが個室の病室だったことに気づいた。 「『大佐<オーベルスト>』……?」 「さっそくで悪いが、ここではサージェント・サンダースと呼んでくれねぇか。その呼ばれ方じゃ、俺の素性がバレバレになっちまう。俺は構わんが、あんたにはそれじゃ都合が悪い。その容態で病院から放り出されたくはあるまいが?」 四〇代、あるいはすでに五〇代に達しているのかも知れない。ごつい男である。見慣れないスーツなどを着込んでいるが、筋肉ではち切れそうな胸のあたりだとか、いかにも不承不承剃ってきましたと言わんばかりの青々としたひげ剃り後の残る顎には深い溝が刻まれている。典型的な『筋肉ダルマ』の体格。サングラスこそかけていないが、彫りの深い落ち窪んだ眼窩の奥で、鋼鉄色の瞳が鈍く冷たい光を宿している。 通称『大佐<オーベルスト>』。帝国ではそれと知られた傭兵集団の指揮官である。そして、ゲルタ……コルネリア・ゲルトルーデ・フォン・シュミットバウアーにとっては少女時代からの白兵戦技の師。リップシュタット戦役では、装甲擲弾兵指揮官として、旗艦に招聘した。 「サージェント・サンダースですって?」 「ああ。俺の本名がザンデルスなんでな。ちょうどいい。あんたもコルネリア・シュミットという名前になっている。まあ、その傷だ。ばれちゃいるとは思うが、内乱に巻き込まれて負傷したことにしてある」 「負傷?」 硬質な顔をわずかにしかめ、『大佐』……サンダースは自分の右腕、肘のあたりを軽く叩いた。 「え―――あっT」 打ち合わされるトマホークの激しい剣戟と、縦横に視界を切り裂く炭素クリスタルと超硬度鋼の煌めき。打ち込んだ捨て身の一撃が、網膜に残像が残るほどの迅さで翻る鮮やかなまでに紅い髪を捉えたかと見えたとき、銀色の閃光が尾を引いて右腕を薙ぎ上げる。激烈な衝撃と、引き続く激痛。吹き上がった鮮血が驟雨さながらにフロアを打ち、みるみる視界が昏く翳っていく。 「手加減をしている余裕はありませんでした。謝るつもりはありません ――― ローエングラム侯はもう二度とは言わぬとおっしゃいましたが、あなたに向かっての言葉ではありませんでした。降伏を、シュミットバウアー子爵夫人。降伏なされば、死なせることだけはしません」 勝ち誇った声ではなかったし、声の主の真摯さへの疑問は僅かほども湧かなかった。だが、もとより従う気はなかったし、彼の手で負傷させられること自体が予定の行動ですら会ったからだ。彼女がキルヒアイスの行動を拘束し、親友<とも>を案じて駆けつけて来るに違いないラインハルトを、ヴィンフリートが至近に捉えて急襲する。ラインハルトの危急にキルヒアイスが狼狽する……あるいは今度は彼が救援に赴いている隙に、今度はゲルタが自爆し、キルヒアイスを旗艦ごと葬り去る。 リップシュタットの戦役直前、それが夫ヴィンフリートと打ち合わせた最終的な作戦案だった。ラインハルトとキルヒアイス、帝国軍最高の軍事的天才と艦隊指揮官を二人ながらに艦隊戦で葬り去れると信じられるほど、彼ら二人とも自身への過信を抱いてはいなかったのだから。 「装甲服のインナーが自動収縮したからな。そうでなければ、どうやったって救けられなかったろうさ」 「―――それって……」 エメラルド・グリーンの眸が、窓からの日差しを弾いてくるくると金色の無機質な光を閃かした。端正なゲルタの表情が彫像めいて、見る者に禍々しい印象を与える光だった。 「……誰の依頼だったの?」 「それを明かすのは依頼主との契約に違反するな」 「依頼主がもう天上<ヴァルハラ>の住人になっていたとしても?」 「そうだ」 「契約はわたしを死なせるな……ということだったの? それを明かすのも、契約違反?」 激昂すべきなのかどうか分からなかった。激昂し、取り乱して『大佐』の胸ぐらをつかみ、『答えなさいT』と叫ぶべきところなのかも知れないと思った。だが、火が付いたように熱くなっている頭の中で、まるで凍り付くように冷え切っていく一角があるのを、ゲルタは正確に理解している。冷徹に理解している自分がそこにいる。激しようと喚こうと、泣き叫ぼうと、事実は事実でしかなく、結局は事実を受け入れる以外の選択肢はないのだと。 「―――金髪の坊やを殺れなくて、赤毛の坊やだけをあの世行きにできそうな状態になったら、赤毛の坊やに手を出してはならない……つまり、そういうことだ。あんたを救けたのは、付帯事項だな」 「付帯事項?」 「そう。金髪と赤毛を同時か、金髪だけを殺れる。その時は一切手出しなし。そうでなければ、赤毛を死なせるな。まあ、だからあんたを赤毛の坊やに向かわせたんだ、とも言えなくもないか」 つまり、ヴィンフリートはラインハルトを仕留め損なった。そういうことだ。 「誰にやられたの?」 省略した言葉を、『大佐』は正確に理解した。 「赤毛の坊やさ」 |
ここまで書いたところでギブアップ……書けなくなった。 | で、『大佐』視点で書き直すことに。請う、読み比べ。 |