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ニ.帝国軍官舎事情

ラインハルトが移り住んだ高級士官用官舎は、皮肉なことにラインハルトが纂奪の目標としたフリードリヒ四世によって建設されたものである。

第二次ティアマト宙域会戦後、それまで極少数派だった平民出身の、それも地方星系出身の士官が急増したのが、官舎建設のきっかけだった。帝国軍は、その全制式艦隊の根拠地を帝都であるヴァルハラ星系に置いていたため、本来生活基盤を持たぬ平民出身者にも帝都への居住を強いることになった。尉官佐官クラスに対しては、帝都郊外の御料地にアパートメント形式の官舎が多数建設され、平民出身者のみならず、下級貴族の子弟で士官学校の卒業者も多く、その最初の自宅をこれらの官舎に求めたとされている。例えば、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトなどもその典型だった。また、ウォルフガング・ミッターマイヤーや、カール・グスタフ・ケンプらも、一家の主となる前の一時期をこれらの官舎の一つで過ごしていた。
平民出身士官が、その後も着実に数を増やす中、将官の地位に昇るものも稀少例ではなくなった結果、フリードリヒ四世直々のお声掛かりという形で建設されたのが、これら高級士官用官舎なのである。

敷地は新無憂宮の一画、約一平方キロほどがそれに充てられ、その中に約三〇〇戸を数える官舎が建ち並んでいるというものだった。各戸の敷地は、それぞれ千平方メートル以上を確保されていた。建物は居室を中心に、バスルームと主寝室、軍務省その他との直通回線を備えた専用書斎とドレッシング・ルーム、家族用の複数の寝室と居室が設けられ、これに従卒用の居室と、来客用スペースとなるホール、および厨房が付属する構造になっていた。平均的な建物の広さは、三〇〇平方メートルほどであり、ある貴族出身の将官の評を借りれば、『使用人の宿舎程度の規模』というものであったが、一応、高級士官としての体面は何とか保ち得るレベルの広さと設備を備えた内容でもあった。

当初、ラインハルトは同じ将官用官舎でも、初期に建設されたアパートメント形式のそれへの入居を考えていたという。喩え『使用人の宿舎程度の規模』ではあっても、アンネローゼがフロイデンに去り、自身はその時間のほとんどを元帥府と宰相府で過ごしている身でもある。言ってみれば、ほとんど『寝に帰る』程度にしか使わないわけで、そうした生活に対して、この官舎の広さは贅沢という以前に無駄でありすぎた。

ゆえに、ラインハルトがキルヒアイスに対して同居を打診したのは冗談でも何でもなく、かつてのリンベルグ・シュトラーセの延長としての感覚から出た本気のものでもあった。
まず、アパートメント形式の官舎への転居は、憲兵総監であるケスラーと、親衛隊長のキスリング、それからキルヒアイス、および元帥府参謀長オーベルシュタインの四人の一致した反対にあった。ケスラーとキスリングの反対は、は警護上の理由からで、彼らにしてみれば帝都郊外で、他に何名もの住人のいる集合住宅に彼らの主君を住まわせたのでは、警備も何もあったものではなかった。まさか、居住者全員を専用車で帝都の中心まで送りお迎えするわけにもいかないし、万一にも彼らの一人が悪意を抱いていたとすれば、凶弾がラインハルトに及ぶのを食い止める術がないのだ。

オーベルシュタインにしてみれば、ケスラーたちの心配など大したことはなく、ラインハルトが住むと決めた官舎から他の住人を退去させれば済むのである。義眼の参謀長が案じるとすれば、ラインハルトの余りに軽々しさを感じさせる行動が、来るべきローエングラム王朝への、周囲からの軽視を招くことへの危惧だった。そして、キルヒアイスがラインハルトを説いたのは、そのまま住み続けるにしても、あるいは退去を強いられるにしても、ラインハルトと居を同じくする他の将官達の感覚だった。自らが将官の地位を得ていたとしても、帝国の最高権力者と同じ屋根の下で日々を送るというのはいかにも窮屈な思いであろうし、と言って家族ごと退去を強いられるというのも面白くないだろう。

四人の反対に、ラインハルトもあっさりと意思を翻し、新無憂宮の一画にその居を移すことになった。もともと、官舎群全体の敷地には十分の警備施設が施されており、ラインハルトの入った官舎も、その周囲数件はすべて空き家状態であったので、ケスラーやキスリングも安堵の胸をなで下ろすことになった。隣家には、さすがにラインハルトとの同居は謝絶したキルヒアイスが入ったが、当然、これは何の問題もなかった。官舎の警護は親衛隊が行うことになっており、親衛隊は官舎の門扉から玄関に至る一画に詰め所を増設し、更にラインハルトの許可を得て客用ホールの一部に当直士官の宿直所を設けて主君の護衛に当たることになった。

一方、ラインハルトはと言えば、家族用のスペースをすべて閉鎖させ、居室と主寝室の周囲の空間だけを専ら利用している状況だった。内装も、本人が希望すれば幾らでも豪奢な内容への改装が可能だったが、彼はまるで関心を示さなかった。キルヒアイスなどに言わせれば、使うスペースの広さはリンベルグ・シュトラーセ時代とさして変わらなかったのである。

ラインハルトがシュワルツェンの館から移り住んだという高級士官用官舎というのがどんなものかな、と想像して。
最高級ホテルのスィート・ルームのイメージは、東京ペニンシュラ・ホテル

これを一回り大きくして、居室と主寝室を分離。ドレッシング・ルームと寝室の間に書斎を増やして、ドレッシング・ルームの入り口よりに従卒部屋と大型のホール。居室の左側を広げて、さらに家族用のスペースと、厨房……といった感じ。

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