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二.トリューニヒトと皇帝の亡命

後世、『宇宙暦七九九年のねじれた協定』なるものが公然と、その存在を露わにするのは、その名の通り、暦が宇宙暦七九八年、帝国暦では四八九年のページを繰り終え、新たな年にその主役を譲り渡して後のことになる。
フェザーン自治領主<ランデスヘル>ルビンスキーが皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の同盟への亡命と、レムシャイド伯ヨッフェンを首班とする『銀河帝国正統政府』の樹立に関する申し入れを行ったのは、七九八年の一〇月であるとされている。
後世、多くの史家たちの関心の焦点となり、さらに無数の小説家、あるいは二次創作者がテーマとして採用しているのが、なぜこの時期に同盟政府がエルウィン・ヨーゼフ二世の亡命を受け入れ、『銀河帝国正統政府』なる傀儡政権をでっち上げてまで、ローエングラム公ラインハルトによる新体制の帝国と正面からの対立の途を選んだかという点である。
七九九年から数年間にわたって帝国と同盟双方の社会を巻き込んだ混乱によって関係者の多くがその途上で人生の中断を強いられたことと、特に同盟政府側の公文書が故意と事故によって失われているため、このテーマに対しては容易に回答が出ていない。
しばしば、『同盟政府は無為無能のまま、フェザーン自治領主ルビンスキーに踊らされて、ローエングラム公の銀河帝国との軍事的全面衝突路線にのめり込んでいった』との説明がなされる。そして、この言説はその主要な責を当時の同盟政府の最高責任者ヨブ・トリューニヒトに帰している。
驚くべき事なのだが、トリューニヒトがルビンスキーからのコンタクトを得た時期を正確に証明する証言、もしくは物理的証拠は当時も現在も一片のメモすら発見されていない。このため、『すべてはルビンスキーの陰謀だった』、さらに極端な例では『皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世が同盟に亡命した事実などない。全人類の征服を焦ったローエングラム公とその一派による捏造と陰謀だった』との主張までが現れることになる。同盟側に責任がなく、一切がフェザーンもしくは帝国側、特にラインハルト、またはオーベルシュタインによる陰謀によるものとする考え方やそれに基づく出版物が、動乱が収まって数十年後、特に旧同盟領で隆盛を極めることになる。
しかし、エルウィン・ヨーゼフ二世を自称する亡命の皇帝が存在したのは事実であり、これよりごく近い将来に於いて『銀河帝国正統政府』なる組織が、一応は組織された亡命政権として同盟政府の承認するところとなったのもまた事実である。これらの事実は、確かにルビンスキーがある種の取引を申し入れ、トリューニヒトがこれを受け入れたことを意味している。
「つまりはすべてがルビンスキーとトリューニヒトの個人プレーだった。ルビンスキーは同盟評議会議長個人に対して、何らかの交換条件の下に皇帝の亡命と亡命政権の成立・承認を要求し、トリューニヒトはまさに彼個人の受益を目的として、ルビンスキーからの交渉を受け入れたのではないだろうか」
この主張は、動乱終結後に発表された無数の研究の一つだったが、当時は客観的な証拠を欠いた推論の上に、更にあやふやな憶測を積み重ねたに過ぎないとして大方の黙殺をもって迎えられた。新たに指摘された事実により、この研究が定説の一つとして浮かび上がってくるのは更に数十年余りを待つ必要があった。
つまり、『ルビンスキーからのコンタクトがあったと信じられる時期』以降、同盟政府主流派が中央・地方を問わず、選挙で圧勝する例が続いたこと。トリューニヒト一派の政治資金が極めて潤沢となり、配下の議員、支持者に対する財政的な支援が飛躍的に強化された事実が認められること。これらの動きに対して、フェザーンに関係のある様々な経済団体からの積極的な支援がトリューニヒトに寄せられていることなどである。この時期に『B資金』あるいは『T資金』と称される巨額の地下資金に関する経済事犯が続発して、評議会議長との不名誉な関連性が根強く囁かれ続けた事実、さらにトリューニヒト個人の、彼の死に至るまでの活動の活発さが、個人レベルを遙かに超える財政的基盤を仮定しない限り説明ができないこともまた、この説に一定の説得力を与えることになる。
しかし――この時期、『ねじれた協定』はまだ、水面の遙か下に密やかに息を殺して潜んでいる状態だった。所謂『宇宙暦七九九年のねじれた協定』なるものがその姿を現すのは、その名の通りに年の明けた翌宇宙暦七九九年を待たねばならなかった。
「それはご厚意ありがたいが……現実をしか見ないフェザーンであれば、銀河帝国皇帝を亡命させることで、どのようなメリットがあるか、お聞かせ願えぬ限りは、諾否をお答えできませんね」 『メリットは三つある。同盟のみならず、当然のことだがフェザーン、ひいては私個人にとっても大きなメリットを得られるが故に、この件について私自身が敢えて主体となって動いたものと心得られたい』

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